村田諒太(むらた りょうた)
職業:プロボクサー 誕生:1986年1月12日 出身:奈良県奈良市
ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト。WBA世界ミドル級王者。日本人ボクサーとして竹原慎二以来2人目のミドル級世界王者であり、オリンピックメダリストとしては日本人初の世界王者。
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村田諒太の名言格言
敗者は先に結果を求めすぎる
ちゃんとプランを立てますよ。どういったことに気を付けないといけないかとか、考えています
五輪前は人間的に良かったんですよ、すごく
僕なんかがメダルを取っていいのかなと思いますね。本当に与えられたものが僕には大きすぎますし、少し裕福すぎるかもしれないです
自分で考えてやっていれば、気づいたら身になるわけであって、そのために自分たちがしっかり考えて、何が必要か、どうしたら対抗できるのかということを一人ひとり答えを見つけ出すことが一番大事なこと
やっぱり辰吉丈一郎さんとか、畑山隆則さんとかですかね。試合を見ていたこともあり、なんとなくボクシングをやろうと思ったんです
結局、五輪直後に考えたのも、海外でグローバルに世界を見たいということでしたしね
特にオリンピックの準々決勝はメダルがかかっていたので緊張しました、オリンピックは特別なので
来年は本当に留学して、ボクシングもやって、英語も堪能になっていたい。まずは来年がスタートです。そこからまた先が見えてくると思います
人間は弱い動物だから、どこかで力を抜いてしまう。それに打ち勝つことこそが、僕の語る101%の努力
目を切ったり鼻を切ったりとかはよくあることですけど、拳のケガが大きかったですね。だから、右と左と大きさが違うんです
いやあ、本当に研究されてますね
五輪後3か月くらいは何してんだろうと思ってました。プロに来ないかとか、事務所に所属しないか、とかいろいろな誘惑に左右されました。自分を見失っていました
相手に減点もあったので勝ったとは思ったんですけど、本当にホッとしました
準決勝の試合のほうが気持ちが軽くて、手が出ていましたね。準々決勝の相手は動き回るうえに、動きが速いので、見てしまうんですね。変に手を出すとカウンターパンチが飛んでくるので。だから、しっかり詰めてからでないと手を出せないんですよ
自分で考えてやるっていうことは、全部が身になるんですよね。人から言われたことはすぐに耳から出ていってしまうんですよ
僕は世界選手権で準優勝だったのですが、表彰式って必ず決勝のすぐあとにやるんですよ。3位の選手は試合が終わってから時間が経っているから気持ちが切り替わっているのですが、表彰式ではすごく1位と2位の差が大きいんです。全然違うんですよね。世界選手権のときも、隣でウクライナの国歌が流れて、その瞬間は悔しい気持ちがすごく大きかったです
日本人にできないと言われていたが、僕にできないとは聞いたことがなかったので、自分はできると信じていた
あまり勝つこと・負けることだけに焦点を合わせると緊張にしかならないので、勝つこと・負けることじゃなくて、勝ちたいんだったら勝つために何をするか、そこだけに集中すれば、勝ち負けからは離れて少しは気持ちが紛れると思います
僕は才能があってこういう金メダルを取れたわけであって、その上で努力はしましたけど、本当にすごいのは僕を支えてくれる家族であるとか、職場の人たち、日本アマチュアボクシング連盟の方々、何より僕にボクシングを教えてくれた武元先生こそが称えられるべき人間であって、僕はただ少し才能と努力があっただけです
これまで一番上に上がったのが1回だけだったんで、『君が代』の出だしからちゃんと歌えなかったのが、慣れてないなと思いました(笑)
同点くらいになったかなと思ったんですが、このラウンド自体が同点で、トータルスコアを同点にしておきたかったので少し焦りましたね
勝っても負けても自分の責任
本当に変わりました。こんなにもヘソクリがたまるものかと…
彼(清水)が僕の1日前に勝ったあと、僕に言ってきた言葉が、「明日負けろ」だったんです(笑)
オリンピック前はなかったですけど、それこそ始めたころは…はじめ僕、2週間で逃げ出したんで(笑)。とりあえず、練習前に高校生と一緒に800m走を何本も走らされたので、それが嫌で逃げ出しました
鼻がすごく腫れて、血もすごかったのでおかしいと思ったんですけど、迎えに来てくれた父親に「今日、鼻が痛いねん」と言ったら、スーパーでアイスクリームを買ってきて、それで鼻を冷やして僕の治療は終わりました(笑)
鼻はもう、何回も折れています
第一志望ではないものにかけても成功しない。自分が、第一優先でやりたいことは何か?自分の気持ちに素直に従うことである
まずは家族孝行したいですね。その後に、僕は東洋大の職員ですから、東洋大に対する貢献だけを考えて、それがオリンピックにもう1度出ることか、プロになることか、大学職員として一人前になることか、しっかり考えて進路は決めたいと思います
友達ってそんなもんですよね。そういうことが言えて初めて友達であって、気をつかうところももちろん必要ですけど、そこまで言えるっていうことは、僕たちは本当に仲が良いと思いますね
まず僕に最後に崩れないスタミナがあることと、あとは神様が僕に味方してくれていることだと思います。神様は常にそばにいます(笑)
今、運動神経のいい子の選択肢って、野球、サッカー、陸上、バスケ。ボクシングはないでしょ。で、そんな“王道スポーツ”で通用しなかった人がやったりする。それじゃ、いい選手は出ませんよ
ボクは人や本にすぐ影響される。五輪の前に活用したのは聖書ですかね。あれを読みながら、気持ちを整えたり
日本人ということを考えれば奇跡的なことだと思います。ただ僕個人は“できる”と思ってやってきてましたんで
自分自身に心の満足があるかどうか。本当の幸せとは、俗的なエゴイズムに左右されるものではなく、心の満足である。心が満たされないものに101%の努力をしても成功はしない
やはりポジティブさですね。ネガティブに考えると、何も生まれない。ポジティブに考えていけば、運もやってきます
選手村ではあまり交流は持てなかったのですが、大会が終わってから他競技の方と仲良くさせていただきました。吉田沙保里(レスリング金メダリスト)さんや室伏(広治。ハンマー投げ銅メダリスト)さんは人間的にも素晴らしい方ですし、トレーニングについてもアドバイスをいただいたりしたので、スポーツ選手としてだけではなく尊敬できるような素晴らしい人たちで、会えたことは本当にいい財産になったと思います
ミスをしない選手はいないと思うので、「ミスをしたらどうしよう」って思うのではなくて、ミスをしたらそれを次にどうやって生かそうかと考えればいい
本当の紳士って、スーツ着てハット帽かぶっている人じゃない。追い詰められたときこそ、一発ギャグをかませるような人が本当の紳士(笑)
旅行にでも行きたいですけど、それは職場と相談ですね
この1か月で立ち直った。将来の目標も見えてきた
無理だと思ったら無理だし、その舞台に立てるかどうか、勝てるかどうかは自分自身にかかっているのであって、舞台に立つこと、勝つことを想像して生きていかないと夢もかなわないわけですから。それを想像して一生懸命やること、それ以外に勝てる方法はないですね
県予選があって全国大会があって、その上に世界選手権ですから、それだけ多くの人の上に立っているっていう意識を持って練習しないとダメだと思いました
金メダルを狙ってやってました。夢ではなく、僕の金メダルは目標だったので、それを達成できたので自分自身を誇りに思いたいです
既に1試合戦っていましたから、2試合目のほうがリングや試合の感覚はつかめているので、調子は悪くはなかったのですが、あとから試合を見たらやはり固くなっていましたね、あまり手が出ていなかったですし
芸能プロのお誘いはありましたけど。「男前」って取り上げてくれますが、単に他のボクサーがブサイクで助かっているだけ(笑)。その辺は、わきまえてます
ビビりでいいと思います、僕は。それを認めたほうが練習もするし。緊張することを否定することはないと思います
ボディーが得意なので、ボディーを打ってダメージを与えていくのが得意ですね
ボクシングは中学校1年生のときに始めました。小さいときの夢というのは実は特になかったんですが、ちょっとだけやんちゃな時期があって、中学校の担任の先生が「お前、何かほかにやりたいことないんか」というので、「ボクシング」って言ったらその週末に近くの高校につれていってくださって。練習は何回も逃げ出しましたけど、なんとか、いい出会いにも恵まれて今に至っています
ボクシングは殴られるのもしんどいですけど、パワーマックスっていって自転車をこぐトレーニングがあるんですよ。ひたすらフルパワーで漕いで、休んで…というのを繰り返すトレーニングがあるんですけど、そのトレーニングの前日はそのことが頭を離れなくなるくらいしんどいですね
パワーマックスというトレーニングをオリンピック前には週に3回やってたんですが、それをやっておけばある程度は大丈夫だろうっていう…ハートの面でも安心できて。そういった意味では自信はありました
ルパンは殺されそうな時でも「とっつぁん、そりゃないぜ」って余裕がある。あれがいいんです
中学のころ上級生とケンカして勝ったが、何も生まれない。自分が一番強いと認めてほしいと思った時、ボクシングが浮かんだ。世界一になれば強いと認めてもらえる、と
追う展開になると思っていたら、逆に終われる展開になって、本当に昨日(準決勝)に引き続き面食らいましたね
まずは、得意なことを伸ばすことが一番だと思います
もちろん、すべてのことは今につながっていて、それぞれが1つのことではないと思います。1度引退したこともプラスに働いたと思います
いろいろ書いてますよ。マタイとか。ぼくはタラントのところとか、好きなんですよ
スポーツ選手に勘違いするやつおるでしょ。ボクは大丈夫です
これ(金メダル)が僕の価値ではないんです。これからの人生が僕の価値だと思うので、恥じないように生きていくだけです
何より一番身近にいるチームメート、今のオリンピックメンバーであるとか、そういったところの活躍は本当に刺激になりますし、こいつらに負けたくないという気持ちで切磋琢磨できました。清水(聡=自衛隊)が先に銅メダルを決めてくれた日には、もうどうしようかと思いましたね(笑)
最低限のラインまできたと思ったので…ほっとしたというほうが大きいですけどね。でもあれはよくないですね。亡くなった高校の武元監督がいたら、ああいうことをしたら怒りますね。変なことしなくていいよ、格好悪い、と怒られます
病院に行って診てもらったら、「これ、折れたままつながってるね」って言われたんです
走るトレーニングにしても3分間ガーッと走るとか。ボクシングって、一定のリズムで続くものではなくて波があるので、波をつくるように走ってみるとか、常に実戦は考えたうえで練習はしています
このリングに立てる幸せを感じた。1回に危ないパンチをもらった。恩師の誕生日で、その日に勝たないわけにはいかなかった。世界一になりたい。誰もが認めるチャンピオンになりたい
勝てるコツなんて、ないですよ。ないけど、自分を信じることですね
言葉は悪いけど、半分チンピラ、不良のスポーツみたいな印象があるじゃないですか。そういうイメージを変えないと、本当の意味で広がらないなあ、と思います
緊張は前日にするタイプで、入場の時は緊張しないんですよ。僕は感謝して、まず(恩師で故人の)武元前川先生に『行ってきます』と言うことと、お世話になっている方々に『行ってきます』と言ってから行きます