ヒクソン・グレイシーの名言格言集

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)

職業:柔術家、総合格闘家 誕生:1958年11月21日 出身:ブラジル・リオデジャネイロ州

ブラジリアン柔術九段。グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男。息子のクロン・グレイシーも柔術家、総合格闘家である。バーリ・トゥードルールの試合において相手をテイクダウンし、マウントパンチで攻撃、最後は絞め技や関節技に持っていくというスタイルを使っていた。総合格闘家としてのキャリアを完全無敗のまま引退した数少ない人物である。

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ヒクソン・グレイシーの名言格言

何があっても変わらない、勝ちたいという姿勢、自分の可能性を信じる心は、誰にも傷つけられることはない

チャンスは必ず利用して決着をつけたが、決着をつけること自体を最優先したわけではなかった

私が柔術を教えた人は、無敵になれると保証する。絶対に負けない人になれることを約束する。100パーセント大丈夫だ

最も大切なのは、技術を正確かつできる限り迅速に行うことだ

私が新しい連盟を設立したのは、自分の周りに柔術関係者を集めるためではない。私が代表を務めてはいるが、この連盟の目的は、所属にこだわらず広く柔術の大会を盛り上げること、どこで黒帯を取得したかを問わず、すべての柔術家の水準を高めることなのだ

私にとっての「武士道」というのは、何か目標を達成するために、100パーセントの力をもって、リスペクトの気持ちを重視しながら取り組むこと

自分から何も行動を起こさなかったら、幸せにはなれない。日本には草食系男子というタイプが増えていると聞きました。草食自体は問題はない。ただ、そういうライフスタイルには問題がある。草食系という発想からは自分から何かを勝ち取るという行動には結びつきにくい

Never Give Up!!絶対にあきらめないでください。行くところまで行って、もしもう可能性が全く無くなったら、すぐに切り替えましょう。でも、最後まで戦い抜くのがファイターです

闘いのために、勝利のために、ただ死なないことだけを目指して、淡々と生きる。勝つために試合を繰り返しながらも、まるで闘うために設計された機械のように、死を実感していなかった

自分自身の幸せを手に入れるという考えを、どこまでも追求する

ストレスのある暮らし、緊張した生活を送り、嫌な気持ちのままで、家族のために何ができるというのだろう?愛する人や友達の役に立てるだろうか?仕事で活躍できるだろうか?そのまま無理に突き進めば、最後には倒れてしまうことだろう

私は女の子という目的があったら、戦略も技術も使って全力で挑みます。もし100%チャンスがなくなってしまった瞬間なら、普通の人なら悲しむでしょう。しかし、私は悲しむ気持ちにはなりません。泣いても夢は戻らないですから(笑)

すべてをありのままに認める。できることをやるしかない。できなければ、受け入れるしかない

もし自分が信じる柔術や武道を世の中に表現し広めることができるなら、手がけてみるのも悪くないと思っている

私は、相手の体格や制限時間などの条件を問わず、いつでも喜んで挑戦を受けてきた。そんなとき、まず心がけていたのは、「相手を打ちのめそうとしない」こと。決して自分がやられないことだ

まずは最高の自分になること。そうすれば人のために何かができる。そして、最終的に自分という枠を超えて、人の役に立てるようになればいい

見えない力を手に入れるために、感覚を磨き、自分を捧げ、人として正しい行動を選び、深く物事を見つめること。状況を把握し、正しい戦略を立てること。欲しいものを手に入れて、自分で運命を切り開くこと。幸運をあてにせず、自分のものは自分で取りにいくこと

これからは、競技の柔術はもちろんだが、護身術の柔術も広めていきたい。私にとって柔術は、選手時代と同じくらい、もしくはそれ以上に、幸せをもたらしてくれるものになっているのだ

自分にとって何が最も重要だと思うかと聞かれて、自分自身だと答えた人以外はみんな間違っている

格闘技とは縁のない一般の人に、私が柔術を通して学んだ哲学を本を通して表現できればと思った。これまでの人生で学んできた重要なことを、できるだけ残しておきたかったのだ

負傷していたにもかかわらず、「ああ、大変なことになった」とは少しも思わなかった

仕事のことや家族を養うことばかりでなく、自分の気持ちをもっと考える

一番愛するものを優先して生きている、と言えばいいだろうか

人は能力を発揮するために生きている。人生を意味のあるものにするために、ここにいる

勝つことを優先したことはない。何よりも大事なのは、生き残ることだ。どんなことをしても自分を守ること。最悪の状況に陥っても落ち着いていること

私の考える「現代の戦士」とは、正しい行動を守り、求めるものを手に入れようとするが、それでも幸せになるという目標を忘れない男のことだ

人は生まれた瞬間から、自分の思いどおりにはならない。競争の連続だ

仕事に取り組むにしても、目標へ向かうにしても、言われたからやるのではない。それが本当に自分の幸せにつながるのかどうかを、もう一度、考え直す

もう少し自分を出し、エネルギーを出しきって生きれば、どんなに幸せになれるだろうかと思う

世界の中心が自分でないなら、もはや自分の人生だとはいえないのだ

自分が快適だと思えない人生など苦しいだけだ

現実が見えていない人間に、変わろうとしない弱い人間に、チャンスなどない

実はサムライのように無感覚でいるほうが、生きるのは簡単だし、自分を最優先しない生き方のほうが楽だと思う

大事なのは、勝つことではなく絶対に負けないこと

誰の役にも立たない人生なんて意味がない。自分のことしか考えず、人のためには指一本動かさない人間はただの自分勝手だ。しかし、人を助けるために自分の力を蓄えるのなら、それは立派な行動だ。だから自分を優先させる

まず日本を皮切りにして、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパでも、ヒクソン杯を開催する計画だ

現代を生きる“モダンなサムライ”は、自分の幸せをつかみとるために闘うものだ

総合格闘技のために選手を育てることはないし、興味もない

すべてを手にしていたかつての私より、何も持っていない今の私のほうが幸せだ

真実は往々にして見えるものとは違う。真実は、見えるものをどう感じるかだ

今日の決断が一生自分を縛ると思わなくていい

私が武蔵の本を読んだときの印象は、この人物には心がないということだった

私が常に考えているのは、連盟の事業をどう成長させれば、大会参加者により良いサービスを提供しながら、最終的に利益が出せるかなのだ

いい仕事をするために、また人に良い影響を与えるために、自分の生活をつくっていかなければいけないと思っている。その活動の中心となるのは、やはり「柔術」だ

知恵は外から取り入れるものではない。自分の人生経験から生まれるものだ

私は、飢えた目で闘いを挑んで自分の欠点を忘れたりはしない。いつも危険を意識して試合に臨むと同時に、どんな隙も見逃さず、すかさず食らいつく

現在では、どの格闘技が一番強いかよりも、どの人が一番強いかを争うものになってしまった。またそこでは、肉体の強さばかりが表に出すぎて、技術のぶつかり合いがあまり見られない

私が敵を乗り越えようとしたのは、幸せという大きな目的を達成するためだったのだ

言い換えるなら、人々がシャボン玉の中で暮らしているような気がする、ということだ。尊敬の心が感じられても、それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、他人の意見を聞きたくないからだったりする

与えられた環境の中で一番居心地のいい状況を作っていく。自分の置かれた状況を把握しつつ、考え方さえ変えたら、必ず幸せな人生を送ることができる

幸せを求める他にどんな生きがいがあるというのだろうか。そして、幸せでないのに満足できるだろうか

競争に勝つためには、自分の強みを知り、世の中を理解する能力を身につけること。人が最初にしなければならないのは、それだ

格闘家としての人生には一区切りがついたが、今は以前よりもものすごくエキサイティングな毎日を送っている。また、いろんな目標もある

私が闘ってきたのは、もっと大切なもの、たとえば家族を喜ばせるためだ

自分でも気づいていないパワーが必ずある。そのパワーを信じて、自分が直面する困難を乗り越えてほしいんだ……

柔術というのはスポーツではなく、芸術であり、私のすべてを捧げるのに値するものだと思っています

重要なのは、自分の人生が退屈なのかもしれないと認めること、そして、感情的、心理的、精神的、肉体的なレベルを高めるには何をすればいいのかを知ることだ。それが分からなければ、行動を起こすことなどできない

ただし、それは相手を倒せるようになるという意味ではない。それはまた別の話だ。それでも、自分が負けることはないと分かれば、あとは引き分けるか、勝つかしかない

格闘技や武道の目指すべき姿は、それを通じてよりよい社会人を育成するということだ。競技やショーのために盛り上がっているというだけでは物足りない

確かなのは、私がどれほど自分を疑わなかったか、可能性を疑わなかったか、あきらめなかったかということだ

どうか自分自身を信じてほしい。自分の中に、まだ自分が気づいていない、未知なる力が必ず眠っている

引退後、次の目標を考え始めたとき、まず浮かんだのは、ひとりでも多くの人に正しい柔術、理想の柔術、護身術をもとにした柔術を広めていきたいということだった

意志は使えば使うほど強くなる

何か人のために役に立てるかどうか。ひとりでも多くの人に、いい見本となるような活動がしたいということ

私がいうテクニックとは、ムダな力を使わずに、相手がミスをするチャンスを待つことだ。時間が制限されると、それができない

何かを成功させるために必要なものは、運ではない

もしも現役時代を振り返っていうならば……多くのグレイシー柔術の選手に勝った桜庭とは、決着という意味でも、状況さえあえば闘ってもよかったのかもしれない

「これで充分」とは最悪の言葉だ。完璧でないなら、続けなくてはいけない

私は日本が大好きだ。少なくとも文化についてはそう言いきれる。しかし、その弱さをを少し残念に思っているのだ

選手でなくても、一般の普通の生活に役に立つような、健康になるような柔術を先に広めなくてはいけない

私の一家が、アメリカでバーリ・トゥードを世界に提案し始めたときは、どの格闘技や武道が一番効率がよいか、それを競う大会だった

先頭を進む人間になるには、自分の行動を決める自信と強さが必要だ

「怖くない」と言う人間は、自分が愚かだと宣言しているようなものだ

私は、もう50年くらいは生きるつもりだ(笑)。だからこれからも注目してほしい