内村光良の名言格言84選

内村光良(うちむら てるよし)

日本のお笑いタレント、司会者、俳優、映画監督。南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。愛称は「ウッチャン」。マセキ芸能社所属。コントを主体とした芸風で、とんねるず・ダウンタウンらと共に「お笑い第三世代」代表の一角としてバラエティ界をリードした。

内村光良の名言格言

夢を追う人はそのまま成就させてほしいけど、諦めた人も別の道でまた違う夢が見つかる。僕はそう信じています

何かに打ち込んでいる姿はかっこいいと思うんで、皆さんも好きなことを見つけて、日々の生活を輝かせてください!

“コンビ”って、絶対嫌いじゃない所があるから成立しているんだと思います

例えば大竹と僕が歩きながらガムの話しをするシーンや、ゴルゴ夫婦のシーンはほとんどアドリブですね

そうです、私パンツを貸したことがあります、浜ちゃんに

「『内さま』でケガした」っていう説明が面倒臭いんですよ(笑)

振り返ってみると、皆でコントをやって水泳をやって、まるで学校の部活のようでしたね

一日の中で何回も笑うような生活が好き

コント番組の金メダルを目指して頑張りたい

そんなふうには言わない!母親、そんなふうには俺に言わないな

(内村航平について)彼には勇気づけられた。内村として非常に誇り。内村で良かった

(ダウンタウンについて)あっ!そうだよな、『お笑いスター誕生』、うちらが初めてオーディションに行ったときに、居たんだよね

コントを誰かに教えるというのは今回が初めてだったので、僕自身も勉強になりました

中学生のとき5番でサードだったんです

他ではやらないですよ、こんなに(笑)。しかも、私はスーツというハンデを背負ってますから(笑)

(専門学校の)卒業公演の役は「漫才師B」だった

特に関係は変わらないですね。メンバーからは「現場がピリピリしてなくて良かった」って誉められました。僕あんまり怒鳴らないんで「よーい、はい。はいオッケー」って感じですね(笑)

人徳っていうわけではないです(笑)。でも今までお付き合いのあった人たちに出演していただくことができました

I can do it!

人間ドックは、相変わらずだもんね。これはいつも間違いない

僕の知らない間に、美術さんが西部劇っぽい雰囲気を出そうとして干し草を転がしてくれて(笑)。あるわけがないんですけど、そのしゃれっ気が面白かったですね

バブル期ですね、あんとき考えたらものすごい製作予算でしたよね

“おっさんの悲哀”を出したかったからですね(笑)

その~、25、26あたりのね、一番その、時代に、一緒にやってたという感じで

そうです、(ダウンタウンの)2人のおかげで私、初めてディズニーランドに行きまして~

夢を追う人と諦める人、二つの男の生き方を描いている作品なのですが、どちらも自分で下した決断だから、間違いではないんです

ま、その~、『夢で逢えたら』という番組で、3年半・・・ぐらいかな~、一緒にやってましたね

エンディングにかかるピアノの曲が、すごいなんか日曜の終わりを感じさせて、あんな楽しかった日曜日が現実に戻っちゃう、あのピアノのメロディーで

最初はお客さんに「キャー!」って歓声で迎えられるんだけど、いざネタになると急にお笑いを見る目に変わるんだよね

ものすごい、そのあとげっそり、げっそり

「できる」という喜びのほうが強かったですね。「撮影できる」「編集できる」「ダビングできる」という、そのすべてが嬉しいんだよ

竹中直人さんが監督と主演をされた『サヨナラ COLOR』という作品に出演したとき、竹中さんの仕事ぶりを見て勉強させていただきました。自分に似たダミーの方でリハーサルするという方法も盗ませていただきました

(夫婦円満の秘訣は)「ありがとう」です

最初の脚本にもあのスポーツ用品店のシーンはなかったんですよ。たまたま飲み屋でウドと会ったときに、「監督、使ってくださいよー」って言われたから、急遽シーンを加えたんです。あのシーンは本当にコントみたいですよね(笑)

映画に出演しているメンバーはふかわ以外みんな野球好きなんですけど、彼らと毎週のように飲んでいる席で、「草野球やりたいっすねぇ」って言い合っていたのがヒントになりました

青木さやかの回は覚えてる。布団から出てきて金八先生になったんだよね(笑)。でも、これが一昨年ってことは、DVD60巻は確実に行くんだね。すごいわ

最後に笑うのは誰かって事よ!

時間が経つ度にプレッシャー感じてきましたが、やります! とことん。楽しみます!

全部アドリブっていうのはウドと僕のからみのシーンだけですね(笑)

こ~んなちっちゃかったもん、お前、23のとき

そうそう、ふっふっ、あれでなんか、ちはるが溝に落ちたんだよね

機会があるなら、もっとコメディー色の強い作品がやりたいです

うん、まあ~、よく昼から夜中までやってましたね、あん時は

最初は既存のものをやってもらったんですけど、あんまりウケないんですよ

もうコンビ結成して28年になるから、お互い色々溜め込んできたんですよね(笑)

ある人物がこけるんですが、腹からですからね。普通手をつくところを腹からっていうのが、中年の悲しさですよね(笑)

酒屋さんの内部には詳しいんで、描きやすいかなと思いまして。ほこりの付き具合とか、手書きで「焼酎フェア」って書いて貼るところとか、実家と同じですね(笑)

あ~そうですね、あの~、衣装がその当時あんまり無かったから

“顔面ストッキング”は覚えてる

vol.1の頃と見比べられると、我々も9年経って、だんだんおじさん化してきてますからね…

俺って魅力あるかな?

朝3時、4時は当たり前、という感じでやってました

今回の映画で、体調が悪いのに性欲が抑えられない小出くんを、まさみちゃんがひっぱたくシーンがあるんですけど、あそこが一番映画的な笑いだったと思うんです

(今までで一番凄かった接待は?)あ~、やっぱ、やっぱそう考えると、バブル時だな

それで、ちはるがなんか酔っ払っちゃって、堤防から下に落ちちゃって

いやでもホント、同じ釜の飯を食ったというか、なんかちょっと違いますよね

今回の映画は群像劇だったので、次の機会があれば親子の物語とか、学園ラブストーリーみたいな、焦点を絞った作品を撮りたいですね。そのときは学校の先生役かもしれないし、演出だけかもしれないし……まだわからないですね

(夢をつかむためのコツは)ありきたりだけれど、努力をしながら続けること。辞めてしまったら、その時点で何もかもが終わりですから

印象に残ってんのはね~、あの~、ふふふっ、ダウンタウンの2人がですね、食中毒をおこしたとかいう

Yahoo! ニュースだったかな……証券マンの事件を取り上げた記事があって、それがきっかけで最初、僕の役は証券マンだったんですよ。でも証券マンの内情がよくわからなくて、そんなときたまたま水球のドキュメンタリーを観て、「スポーツライターなんていいんじゃないかな」ってことになったんです

恋人役のさっちゃん(桜井幸子)は、昔一緒に出演していた番組でもヒロイン役をやっていただいていました。そんな感じで出演者の皆さんは、ほとんど過去に共演したことのある人たちばかりですね

まぁ、運がよかったよね。当時は今に比べてお笑いの人口も少なかったから

実は僕が冒頭、商店街に登場するシーンで黒澤明監督の『用心棒』みたいなカットを、ちょっとかっこつけて撮影してみたんです。でも編集の段階でボツにしちゃったんですけどね(笑)

僕は実際にコンビを組んでいて、お互いにたぶん嫌なところいっぱいあるんだと思うんです

でも、ものすごい長い気がするよね~、あの『夢で逢えたら』という番組

もういっぱいいますよ。ウディ・アレンとかヒッチコックとか好きですね

結構、クルーザーで遊び連れてってもらったりだとか、タモさんので、鶴瓶師匠とか、俺とか乗って、すっげー楽しかった

他のあの~、コンビとはちょっと違う

テレビの前のちびっ子達、食ってやろうか!!!

やっぱフジテレビの、なんか、『やるやら』あたりのバブル・・・

あぶれた同士で組もうかって。同じクラスに出川哲朗もいたんだけど、俺はなんとなく本能で「こいつとは組まないほうがいい」って察したんだよね

この世界に入って、やっぱり一番接している人が影響受けたから、やっぱタモさんと鶴瓶師匠かな、う~ん、一番長く『いいとも』でずっと一緒だった

空いたんだ、スタジオ収録が飛んだんで

インタビューを受けていてよく、「もっと、はちゃめちゃな作品かと思ったら、意外と正攻法な作品ですね」と言われるんです

二人のキャラクターがわかってきて、それに寄せて書いたらウケるようになっていった。やっぱり、その人に合うコントってあるんですよね

(主人公たちのように“少年の心”を感じることはありますか?)そうですね、あればいいんですけどね。そう思って毎日頑張っています

毎回、ケガはすごく気を付けてるよね。でも、この番組でやっちゃうんですよ。この番組はケアをしませんから!

次はコントではなく映画的な笑いをもっと勉強して見せていきたいですね

だから、お互い絶対に嫌いなところってあると思うんですよ。でも、ほんとに嫌いだったら、どのコンビも解散していると思います

1番最初に書き上げた脚本はもっとコメディよりだったんですけど、だんだんとドラマ性を深めていったんです

辞めていったやつらのことも今まで見てきたからね。僕の事務所でも何組もいましたし。その度に頑張ってなって握手して。そういう気持ちもやっぱり思い出しました。そういうのも背負って書かなきゃって思いましたね

試合のシーンは本物を撮りたいと思ったので、1か月の撮影期間中1週間という限られた時間の中でいい映像を撮るためにぎりぎりまで粘りましたね

まだ監督をしたっていう実感がなくて、あのメンバーがいてこそ実現したメモリアルな要素の強い作品なので、全員で作り上げたと思っています

俺だって、北海道行って、『九州男児』のコントしかやってない