宮沢賢治(みやざわ けんじ)
職業:詩人、童話作家 誕生:1896年8月27日 死没:1933年9月21日 出身:岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。そうした経緯もあって日本には広く愛好者がおり、出身地である岩手県花巻市は彼の故郷として有名である。
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宮沢賢治の名言格言
誰が誰よりどうだとか 誰の仕事がどうしたとか そんなことを言っているひまがあるか?
人間は他人のことを思いやって行動し、良い結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づくほんとうの「幸せ」なのである
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず
もうけつしてさびしくはない なんべんさびしくないと云つたとこで またさびしくなるのはきまつてゐる けれどもここはこれでいいのだ すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとはとうめいな軌道をすすむ
自分が真実から目をそむけて子どもたちに本当のことが、語れるのか
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ
ちひさな自分を劃(くぎ)ることのできない この不可思議な大きな心象宙宇のなかで もしも正しいねがひに燃えて じぶんとひとと万象といつしよに 至上福祉にいたらうとするそれをある宗教情操とするならば そのねがひから砕けまたは疲れ じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと 完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする この変態を恋愛といふ
もしおまへが よくきいてくれ ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき おまへに無数の影と光の像があらはれる おまへはそれを音にするのだ みんなが町で暮らしたり一日あそんでゐるときに おまへはひとりであの石原の草を刈る そのさびしさでおまへは音をつくるのだ 多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに 本当の世界の火やはげしい波の中を 大股にまっすぐあるいて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの ほんとうのその切符を 決しておまえはなくしてはいけない
あなたの方から見たら ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのはやっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです
まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ
僕もうあんな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く
誓って言うが、わたくしはこの仕事で疲れを覚えたことはない
ほんとうにどんなつらいことでも それがただしいみちを進む中でのできごとなら 峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから
まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる
すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから
まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばらう
もしあなたがほんたう(本当)に成功ができるなら、それはあなたの誠意と人を信ずる正しい性質、あなたの巨(おお)きな努力によるものです
新たな時代のマルクスよ これらの盲目な衝動から動く世界を 素晴らしく美しい構成に変へよ
まことの道は 誰が云つたの行ったの さふいふ風のものでない
ああ諸君はいま この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る 透明な風を感じないのか
永久の未完成 これ完成である
新たな時代は世界が一の意識になり生物と成る方向にある
どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせどっどど どどうど どどうど どどう
宇宙は絶えずわれらによって変化する 誰が誰よりどうだとか 誰の仕事がどうしたとか そんなことを言つてゐるひまがあるか
諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに 諸君はその中に没することを欲するか じつに諸君はその地平線に於る あらゆる形の山岳でなければならぬ
わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い証明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です
血がでてゐるにかかはらずこんなにのんきで苦しくないのは魂魄なかばからだをはなれたのですかな ただどうも血のためにそれを云へないのがひどいです
もしそれ人とは人のからだのことであると そういうならば誤りであるように さりとて人はからだと心であるというならば これも誤りであるように さりとて人は心であるというならば また誤りであるように
ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから
僕たちと一緒に行こう。僕たちはどこまでだって行ける切符を持っているんだ
ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦しそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴れ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる
一つずつの小さな現在が続いているだけである
みんながめいめい自分の神様がほんたうの神さまだといふだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それから僕たちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう
新たな詩人よ 雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て 人と地球によるべき形を暗示せよ
何がしあわせかわからないです。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから
真の幸福に至れるのであれば それまでの悲しみはエピソードに過ぎない
誰だって、本当にいいことをしたら、いちばん幸せなんだねぇ
ああたれか来てわたくしに云へ「億の巨匠が並んで生まれ、しかも互に相犯さない、明るい世界はかならず来る」と
だめでしょう とまりませんな がぶがぶ湧いているですからな ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから そこらは青くしんしんとして どうもまもなく死にそうです けれどもなんといい風でしょう
潮や風……あらゆる自然の力を用い尽くして 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
銀の波を泳いできました。ああさっぱりした
けれどもどうしてももうできないときは落ちついてわらっていなければならん。落ちつき給え
世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない
求道 すでに道である
無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐偽である
すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっして憎んではならん
優秀な人間は議論や分析が先行し、それで終わってしまうことが多い。行動に移さねば意味がない
さあなみだをふいてきちんとたて もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
風からも光る雲からも 諸君にはあたらしい力が来る
わたくしのこんなさびしい考は みんなよるのためにでるのだ
なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでも のどから血が出るまでは叫ぶんですよ
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて 奴隷のやうに忍従することを欲するか むしろ諸君よ あらたな正しい時代をつくれ 宙宇は絶えずわれらに依って変化する 潮汐や風、あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず苦にもされず そういうものにわたしはなりたい
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
きみのようにさ 吹雪やわずかの仕事のひまで泣きながら からだに刻んでいく勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからの新しい学問の始まりなんだ
どうも、ちょうどよく働くことほど、体に良い事は無いですな
野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい
我々ができることは、今を生きることだけだ。過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない
かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧(ちえ)にみちびかるべし