小林旭(こばやしあきら)
日本の俳優、歌手。1959年(昭和34年)公開の映画『南国土佐を後にして』で脚光を浴びる。以降、映画「渡り鳥」シリーズ、映画「旋風児」シリーズに主演。石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。
小林旭の名言格言
心にいつもロマンを持とう、俺もロマンがあったから、ここまで走ってこられた。この名言いいね! 0
今の日本社会は息が詰まるようだ。この名言いいね! 0
俺の自宅にルリ子(浅丘)の両親を招待して酒を飲んだんだけど、どういう具合か酔っ払ううちにルリ子のお父さんに『どこの馬の骨かわからんやつに、娘を嫁にやれるか!』と言われてしまった。この名言いいね! 0
ルリ子(浅丘)の両親とはそれ以前から顔は合わせていたけれど、それにしても『馬の骨』とまで言われなきゃいけないような仕打ちを、俺はこの人たちにしたか?そう思ったらルリ子との間に隙間ができていってしまった。この名言いいね! 0
『天下のひばりが、ほれたと言うとんや。男冥利に尽きるやろ』と、そう言われたら、物の言いようがない。そこからはもう至れり尽くせりの段取りで、結婚式までお任せしっぱなしだった。この名言いいね! 0
ダメージなんか受けるか、そんなもん!後藤の親分と一緒にゴルフやって何がいけなかったの?誰が迷惑したの?ただゴルフしただけだよ。親分がゴルフ主催して、そこに俺も一緒にして、和気あいあいと仲良くゴルフして、ケラケラ笑って遊んでいただけで、何もそのゴルフ場で刃傷沙汰が起きたわけでもなきゃ。なんでもないよ。この名言いいね! 0
昔から日本には興行の世界があって、それがずっと尾を引いているんだから、そういうことを全部なくしちゃって、なんでもかんでも暴排条例だからって法律で縛ってゼロにするって、何でそこまでやらなきゃいけないんだって。この名言いいね! 0
それでも”昔の名前ででてます”で1日10ステージぐらい回って、しまいにはのどから血が出たので現金で最初にお金をもらいますって。この名言いいね! 0
当時の週刊誌やスポーツ新聞の番記者さんたちは寛大で(小林さんとの交際を)見て見ぬふりをしてくれた・・・。『看板スターをつぶすな』『いい映画作品を残そう』・・・。私はこうした周囲の支援に支えられながら仕事に打ち込むことができた。この名言いいね! 0