河合隼雄(かわい はやお)
職業:心理学者 誕生:1928年6月23日 死没:2007年7月19日 出身:兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)
京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。元文化庁長官。国行政改革会議委員。 専門は分析心理学(ユング心理学)、臨床心理学、日本文化。学位は博士(教育学)。日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。また、箱庭療法を日本へ初めて導入した。臨床心理学・分析心理学の立場から1988年に日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも貢献した。
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河合隼雄の名言格言
自分の根っこをぐらつかせずに他人を理解しようとするのなど、甘すぎるのである
物語らなければ生きていけない
逃げるときはもの惜しみしない
人間は短期間だけ親切になることは容易である
うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこあたりでぐらついてくる
視野を広げるために一番大事なものは、「道草、ゆとり、遊び」
人間、そう簡単に自分の生き方はこうだと決めつけたり、型にハメたりしないほうが、人生、豊かなものになるのではないでしょうか
会社で使うエネルギーと家庭で使うエネルギーはまったく別のもの
社会がパターンを作ってくれないから、何をすべきかわからなくなった人は深刻に迷い出す。だから自由度が高くなった分だけ、「不幸の可能性」も高くなっていくのである
親の命令が画一的で、一から十まできちんと統制がとれている家庭の子は危険です。それに対して多少の悪さやいたずらをしても大目に見てもらえる家庭の子は、あまり心配しなくてもいい
人生には終着駅などありませんよ。それに、もしその道が行き止まりだったらどうしますか
だいたい子どもというものは“親の目が届かないところ”で育っていくんです
褒めたらつけ上がるなんてことはまずありません。もっと子どもを信用していい。子どもを信用できないのは、つまりは自分を信用していないから
現代の文明は、単純に「進歩」を目指しすぎるあまり、老人に対しても「いつまでも若い」というまやかしをして、問題の本質をごまかそうとしています
自立ということは依存を排除することではなく必要な存在を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか
心のなかの勝負は51対49のことが多い
不安っていうのは他人を巻き込む力が強いんです。だから不安の強い人は、なんとなく嫌われることが多い
人間が死ぬときは頭だけが死ぬのではない。人間が死ぬことは、身体全体が死ぬのである
「右もダメ、左もダメ」と思ったときには、「いっぺんボーっとするか」というくらいのつもりでいると答えが生まれてくることもあるのではないでしょうか
嘘は常備薬、真実は劇薬
学んでいて楽しくないものは、本当の意味で身につかない、というのは私の実感でもありますが、一方で、苦しさを伴わない学びもまた、ニセモノだと思うのです
昔は母親が子供に「よい子」であるように願っていても、子どもの方は母親の管理を離れて勝手に行動できる余裕があった。熱心さはうまく緩和され、適当な度合いになっていたのである
今の人は、みんな“何かしなければ”と思い過ぎる
会社という道。家庭という道。それぞれが別の道であることをもっと意識することです
子どもに「これ、読め」なんて言うとぜったい読まない。だけど「見てはいかん」と言えば、こっそり見に来て「案外おもろいやないか」
肉体的にだんだんと衰える、下り坂を下ることのなかに人間としての成長を見出すという逆説を考えなくては本当の意味での老人の適応ということはあり得ない
物で溢れた豊かな国は、(食べ物の確保の)その上を行かなくては幸せにはなれません。心を遣って自分なりの幸せを探さなくてはならない
おのおのの人が自分の心の内部にあるコンプレックスを開発してゆく代わりに、それを補う人と結びつくことによって、手っ取り早く相補性を獲得する
冗談による笑いは世界を開き、これまでと異なる見方を一瞬に導入するような効果をもつことがある。八方塞がりと思えるとき、笑いが思いがけぬ方向に突破口を開いてくれる
独立と依存とは反対のことではなく、むしろ共存するものだ
思い屈するような心萎える時間こそ、心が撓(しな)っている状態で、重い雪をスーッと滑り落としているときなんだから、それを肯定し自分を認める
愛情とは、関係を断たぬことである
ボランティアの人たちは、よほど謙虚な気持ちをもっていないと、思いがけない害を他人に与えることになると自戒していただきたい
自分の持っている器量とか決断力をもっと信じなきゃ 信じて開発しなきゃ
幸福のために頑張っても幸福は逃げ、目の前の一人の人のために一生懸命になると幸福が訪れる。それが幸福の面白さなんですね
ゆっくり話を聞いてくれる人が目の前にいると「本人が自分で答えを見つける」ということが起こります
自我と自己。自我は変革可能だけれども自己は無限の可能性みたいなものだ
世界の国々を見ても、貧しい国は活気があって当たり前です。食べものを確保するのに必死ですから、自ずと活気が生まれてくる
自立しているものこそお互いに接触し頼るべき時は頼って生きているが十分に自立していない人間は、他人に頼ったり、交際したりするのを怖がる
ゆっくりと寄り道をすればいい。道草の途中には、きっと小さな幸せが落ちています
人間の心が如何にに分からないかを骨身に染みて分かっている者が「心の専門家」である、と私は思っている
己を賭けることもなく、責任を取る気も無く、100%正しいことを言うだけで人の役に立とうとするのは虫がよすぎる
問題児というのは、われわれに「問題」を提出してくれているのだ
速断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになる
「せっかく生まれてきたこの世で、自分の人生をどのような物語に仕上げていこうか」という生き方の方が幸せなんです
人づきあいを大切にするというと、すぐに「自分を殺して」とまで考えがちになる。しかし、そんなに自分を殺しても、人間はそれほど簡単に死ぬものではない
欠点のある人…誰しも欠点を持っているのだが…と、自分も欠点を持つ人間として関係を維持してゆく努力の中に、愛があるのではないだろうか
朝起きたら、また違う風が吹いているからね
100%正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役だった忠告が、100%正しいとは言い難いことも、もちろんである
外向的な人は、内面コンプレックスをもっているし、内向的な人は外向コンプレックスを有しているが、このような人達が恋愛や夫婦として結ばれることはよくあることである
日本人の自我は、欧米人とは異なり、常に他者との相互関係の中に存在し、他者を離れた個として確立していない