【フェンシング】太田雄貴の名言格言集

太田雄貴(おおた ゆうき)

職業:フェンシング選手 誕生:1985年11月25日 出身:京都府生まれの滋賀県大津市育ち

日本のフェンシング選手。種目はフルーレ。キレのあるアタックを特徴とする。2008年北京オリンピックフェンシング男子フルーレ個人で日本フェンシング史上初の五輪メダルである銀メダルを獲得した。

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太田雄貴の名言格言

努力した人間というのは、その過程で必ず何かを得ているんです

メダルがあると無いとでは人生が変わるというのは、日本だけでは無く、他の国でもそうなので、凄まじい駆け引きが行なわれているんです

最近の自分自身のモットーは「疑うな」です。できない、と思ったら何もできません。だから僕は、自分が金メダルを取れないわけがないと思っています

ディズニーということで、たくさんの子供たちに見てもらえると思った。人目につくことがフェンシングの普及にはいちばんいいことだと思うから

本当に厳しい試合だった。(ツアー大会の)W杯なら早い段階で負けていたかも。観客のブーイングや声援が後押ししてくれた

いいコーチになるということは、難しいですね。でも、スポンサー集めとか、組織をうまくマネージメントしていく自信はある。今は、強い組織を作るための手助けからはじめている。少しでもフェンシング普及のための手助けができるとうれしい

五輪には魔物がいるとされるが、僕がその魔物になれれば。金メダルを取るためにやってきた

構うことと、押し付けることって紙一重なので、僕は誘う側として気を遣うわけですよ

五輪に出る出ないはもちろん重要ですが、フェンシングの様な(日本国内での)マイナースポーツはメダルの有無がとにかく重要です

僕達にとってはチーム、皆さんにとっては学校や会社になると思うんですが、自分が所属している場所以外の人脈やコミュニティがないと、ストレスのはけ口が無いと思うんですよね

個人的にもみんなでワイワイするのが好きというのもあるし、試合期間中に出来ることと、試合期間以外で出来ることは違うので話しやすい場を作りたいなとは思っていました。時には熱い会話になったり。僕がナショナルチームにいなくなったら、さらに下の子たちに引き継いでいって欲しいですね

フェンシングにはオリンピックもあるよと伝えたい

それがまさか気仙沼で自衛隊の車を使ってパレートまで出来るとは(笑)。気仙沼市市民栄誉賞も受賞することが出来て本当に良かったです

五輪前にいくら注目されていても、メダルを取れなかった瞬間にメディアには取り上げてもらえないということは、自分自身が実感していたので、何とか結果を残そうとチーム作りに励んでいました

北京五輪までは戦術的に試合中に選手を変えることは禁止されていて、許されるのは怪我だけでした。だから、本当の怪我の場合ももちろんありますが、みんなアカデミー賞をあげたいくらいの演技をするわけです

忘れてはいけないのは、努力したから必ず勝てるとは限らない。それが大前提。でも、勝った選手というのは、絶対に努力しているんです

個人だと僕がメダルを取れば、僕の家族や周囲の人々が喜んでくれますが、団体だと4人のそれぞれの家族、友人が喜んでくれますから、4倍なのか16倍なのか分からないけれど、喜びは倍になりますよね

彼らの人生を高いステージで送るためにメダルを獲得するしかないと考えていた

日本の団体は僕が魂だ

自分の可能性をもっと広げたい

選手にとって一番つらいのは期待されないことですから、求められるものが高ければ高いほど僕はうれしく思います

うまくいったんじゃないかな。でもあの格好をして(着ぐるみのコスプレ)出演することがいいのか、悪いのか、僕の中で、ジャッジが難しかったな

だから僕は彼らの友人やコミュニティにはあえて関わらない様にしています

僕のとっておきの方法があるんです。お風呂に入る前と後に、優勝インタビューの練習をするんですよ。それをやっていると、自分が優勝するイメージがもっともっとリアルになる。そして、いつかその場面に遭遇するんですよ

僕の周りは男が多くて、僕に厳しいんですよ(笑)。疲れていても『態度悪いぞ』なんて言われちゃって。そんなことを言ってくれる先輩たちの愛に包まれています

日本でフェンシングを広めたいという想いは変わりませんし、それが自分のライフワークだとも思っています

ブースが開く前、イスタンブールの招致関係者が視察にきたのです。猪瀬(直樹)知事らと一緒に肩を組んで記念撮影をした。みんなで拍手です。彼らも頑張っている。お互い、グッドラックと言い合える関係に感動したのです

当たり前のことですが、優勝者というのは一大会でたった一人。勝てない中で練習を続ける時というのは、本当にしんどいです。それでも、練習を続けてきたからこそオリンピックでメダルが取れたと思っています

チーム一丸で頑張っていくしかない。勝負は最後の最後、フタを開けてみるまでわからない。自分の練習時間は少しなくなりますけど、それでもやる価値のある仕事だと思っています。招致チームに関われたことを誇りに思います

個人戦が終わった後に、緊張やモチベーションがぷっつり切れて、自分の4年間を問いていたのですが、団体戦は自分の為に頑張るわけではなく、彼らの為に頑張ろうって素直に思いました

現役として出場はかなわないと思っているんですけれど、若手の育成と方針を教えることで最高の結果を出すと思います

ただ生きるだけであれば一定量のご飯と衣服と住居、ある程度の衣食住があれば生きていけます。でも人間が喜びや幸せを感じる時は、その一定量以外のものを見た時であり、そこに感動が生じると思うんです

北京で僕や千田(健太)がベスト16で敗退していたら関係者の責任問題になり、日本フェンシングは消滅すると思っていました

僕は良くも悪くも北京五輪で人生が変わりましたから、メンバーには「五輪でメダルとったらこういう風に人生が変わる」と良い部分をひたすら言い聞かせました

欧州では競技会だけでなく外の関係も大事にする。僕らもそうしたかった

ファーブと僕の掛け合いをみてほしい。ファーブはシュールで性格悪いんですよ(笑)。それと、フェンシングに似たゲームのシーンも楽しんでもらえたら。あのシーンのときは疲れMAXでした

明るい性格も好きだけれど、ドナルドって青い(アヒル)でしょ。僕、青色好きだから…

面白いと思いますよ。一コマづつ、丁寧に撮りました

お笑い担当でもあり、盛り上げ役でもあり、まとめ役でもあり、全ての役割をしていた様な気がします。それは無理してということでは無くて自然に

僕の仕事は最後を締めるということだけで、本当に彼らに助けられた五輪でした

北京五輪で銀メダルを獲得したことで、本当に人生が変わって。試合が思う様に行かないこともありましたが、メダリストの地位を失う怖さが自分の成長を止めていると思ったので、フェンシングにすがって生きていくのでは無く、色々なことにチャレンジしていきたいです

小学校時代のクラスメイトが今僕がテレビに出演している所を見ても、昔のままだなって言うんじゃないでしょうか

一芸に秀でている人が好きですね。どんなことでも、何でもいいんです。何かひとつ得意分野を持っている人って、素敵だと思います

チャンスがあったらチャレンジしたい

日本人でも金を取れるということを証明したかった

日本人はどうしても謙虚な部分があって、もちろんそれは良い所でもあるのですが、損をしている部分が多いと思うので

僕はずっとモテてきてるんで…

(ロゴが)JAPANじゃなくてNIPPONと書いてあるところがカッコいいですね

僕は勝つためにいる

トレンドマイクロが大切にしている『ディフェンスする』ということは(フェンシングと)似通っている

照れは全く無かった。関西人なので(笑)。むしろカッコイイ格好で出るほうがよっぽど恥ずかしいですね

でも、彼らの今まで見たことの無いくらいの、素晴らしい動きがメダルに直結したと思っています

北京のときは、初のメダリストということで大きな変化がありました。でも、そのときは対応の仕方がよくわからなかった。今回は、出会う人のバージョンがよりアップされたように思います。自分で何かを作り出すことも可能になった

いま日本には明るいニュースがなかったりするので、もう一回、リセットして、スポーツっていいよね、と前を向いて歩いていけるようにしたい。それを実現させるためのシンボルが、東京五輪だと思っています

ロンドン五輪に関しては、正直に言うとゴールを目指して走ったというよりは、ゴールテープを切ったあとに流していたら、ロンドンについていたという感があって、もちろん僕は自分にも他人にも恥じない試合をしたつもりですが、金メダルに届かなかった理由はそこだと思います

たまたま劇的な勝ち方をしたので、たくさんメディアに取り上げていただけた

2020年は、現役としての出場は叶わないと思ってますが、若手の育成としっかりと後進を教えることで、最高の結果を出すと思います

今年に関しては個人も団体もなかなか結果が出なくて、世の中的には僕達は五輪でしか活動していない様に見えるかもしれませんが、この1年間で10試合以上の試合には出場していますし、40試合以上消化している中で、五輪以外は注目されないというのは歯がゆくもあるのですが、2010年のパリの世界選手権で勝ちたいという想いがとても強くて、試合終了後に“燃え尽き症候群”になってしまいました

僕はみんなに銀座のパレードのような“祝祭”を感じてもらいたい。日本のよさ、こんなにスポーツが大好きな国民がいるということを伝えたいのです

僕はタレントじゃないから何にでも出演するわけではない。中途半端なことはやりたくない。フェンシングに関係ないものはやらない。でも、フェンシングを多くの人に知ってもらうための努力はおしまない