山崎育三郎(やまざき いくさぶろう)
日本のミュージカル俳優、俳優、歌手、司会者。妻は元モーニング娘。の初期メンバーで、歌手・タレントの安倍なつみ。「ミュージカル界のプリンス」と呼ばれている。
山崎育三郎の名言格言
(挫折を味わった中学時代から)5年間、脇目も振らずにそこ(レミゼラブル合格)に向かっていきました
(高校の頃)その声(変声期前の声)を忘れるという作業はすごく難しくて、現実とのギャップに悩みました
稽古でプレッシャーを感じて、どんなに辛い状況になっても舞台が終わった後のカーテンコールを経験すればやってよかったって思えます
ありのままの僕を見せるしかないという気持ちになれました
(挫折を味わった際)布団の中で1人で泣いてたりした
絶対に受かってやるという強い気持ちでオーディションを受けたのを覚えています
(幼少の頃は)性格的には人前に出るのが苦手で、家でさえ、どこにいるのかわからないと言われるほど喋らない子でした
高校1年生の時『モーツァルト!』の初演を観て、いつか絶対この役をやりたいと思っていたんです。当時、音大の付属高校の生徒で声楽を学んでいました
日本初のミュージカル映画ができたら面白いなと思ってます
頭の切り替えは必要ですね
僕がミュージカル以外の世界に飛び込むことで、従来のミュージカルファン以外にもミュージカルに興味を持ってもらえるきっかけになるかもしれないと思ったんです
家の中には常に音楽が流れ、休日は家族でミュージカルを観に行くような音楽がいつも身近にある家庭に育ちました
中学時代は、いくつかのミュージカルの舞台を踏みましたが、声変わりを機に、全くオーディションに受からなくなってしまいました
(東邦音楽大学附属東邦高等学校声楽科に入学の為に)中3の夏から毎日、先生の家に通って、それまで弾いたことのなかったピアノ、ソルフェージュ、イタリア歌曲集を必死にやったらギリギリで合格
(ミュージカルの面白さは?)やっぱり非日常ってことですよね
カーテンコールは経験した人にしかわからない快感があるんです
無駄な経験なんてない
怖いところにしか成長はない
ジャンルを越えて、自分の表現力を磨いていきたい
(中学三年生の時に変声期の影響で)何も歌えなくなって、段々高い音が出なくなってきて、子供の歌も女性の歌も男性の歌も何も歌えないところに中学三年生の時に入ってしまって
僕はディズニー・アニメーションでミュージカルに出会い、ミュージカル俳優になったのでディズニー・アニメーションの声優はずっと憧れていました
自分の幅を広げる
(中学の)クラスメートの前で僕は将来ミュージカルスターになりたい!といったら笑いが起こったんですよ。それをいまだにイジられるんですけど、本当に実現したよねって言われるようになりました
声楽の世界では譜面から作曲家の意図を汲み取るということが非常に重視されていた
1歩踏み出す勇気を持つことが環境を変えていく、自分自身を変えていくこと
自分でしか変われない
小学3年生から歌のレッスンに通うようになりました
(モーツァルト!の時)毎日2000人のお客様が見に来て下さるのだから、絶対体調も崩せないですし、最高のパフォーマンスを見せなきゃという思いが溢れすぎて怖くなったんです