松井秀喜(まつい ひでき)
職業:元プロ野球選手(外野手) 誕生:1974年6月12日 出身:石川県能美郡根上町(現・能美市)
1990年代から2000年代の球界を代表する長距離打者で、NPBでは読売ジャイアンツ、MLBではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2009年のニューヨーク・ヤンキース時代にワールドシリーズ優勝を経験。同年、アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞した。2013年には国民栄誉賞を受賞。愛称は「ゴジラ」。
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松井秀喜の名言格言
今後、偉大なお三方(王貞治さん、衣笠祥雄さん、長嶋さん)の背中を追いかけ日本の野球の、そして野球を愛する国民のみなさんの力に少しでもなれるよう努力をしていきたいと思います
努力しなければ人並みにもなれない
調子が悪くなった時も絶対に前の感覚を思い出そうとするのは嫌なんです。そう思った時点で、それは後戻りですから
石川県根上町(現能美市)の少年野球チーム、根上中学、星稜高校、巨人軍。これまで自分が所属してきたチームを誇りに思ってきた
僕が心がけていることは、いつも同じように準備をし平常心で打席に向かうことです。打ちたいという気持ちが強ければ強いほどホームランが打てるなら、いつも打ちたいと念じますよ
打撃というのは相手投手、場面によって変わってくる。常にニュートラルな位置にいて投手に向かっていくようにしています。だから、例え良い打撃をしても、その感覚を次の打席も続けようとは思いません。良かったことを忘れることも大切なんです
野球というスポーツは、3割を打てば一流選手になります。つまり、一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです。僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました
打てないボールは、打たなくていいという諦めを持つには勇気が要ります
人生も野球も、失敗そして後悔の連続です
ズルはできない、俺が見てるから
外国人選手のように肩が強くなければ、捕ったらすぐに投げればいい。脚力が劣れば、スタートの第一歩をどうするかを考えたらいい。自分は何で勝負出来るかを考えることによって、活路が見い出せるはずです
困難に直面したとき「今、自分にできることは何か」と自問します。悔やみ、落ち込むしかないのでしょうか。多くの場合、そんなことはありません。きっと前に進める選択肢があるはずです
逃げないことじゃないですか。好きだと思えることからは
僕は階段を少しずつ登っていくタイプだと思っているんです
先生(星稜高校時代の恩師・山下監督)にご挨拶しないと田舎に帰ってきた気がしません
骨折してバットを振れない時期、ファンの皆さんから頂いた手紙やメールが、どれほど僕の励みになったか分かりません。言葉には大きな力があることを、痛感しました
腹が立ったり不満が出てきたりするのは仕方がありません。思ってしまうのだから、自分にも止められない。でも、口に出すか出さないかは、自分で決められます。そこに一線を画した方が自分をコントロールできるような気がします
ジャンプをする前には、体を縮めます。そうした準備行動をしなければ、決して高く飛び上がることはできません。「今は、体を縮めてジャンプの準備をしているんだ」と自分に言い聞かせ、我慢の生活を、できるだけ明るい気持ちで過ごしました
人生とは幸と不幸が交互にやってきます。だから、僕は「人間万事、塞扇が馬」ということわざが好きなんです
個人記録というのは全く考えませんね。皆さんが話題にされるのは分かりますが、自分が関心を持つことはない
飛び抜けて良い成績を残しているんだったら、ある程度は納得できる部分があるかもしれないけれど、僕は自分の成績に満足することがないんです
私はこの賞(国民栄誉賞)をいただき、大変、大変、光栄でありますが、同じくらいの気持ちで恐縮をしております。私は王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録を作れたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません
監督、申し訳ありません。どうしても夢を捨てきることができません。メジャーリーグに行かせてください
大事な試合で打てるのは、運というか、星というか、偶然ではないものを感じます。だから、僕は神様の存在を信じちゃうんです
僕は野球に対してだけは、どんなことがあってもこれが好きなんだ、夢を叶えたいんだという思いを持ち続けてきました
いいことも悪いことも全てが財産です。前を見据えるという意味ではね。全てを検証して次の目標を立てる。それがオフシーズンの作業の一つです
自分にコントロールできないことは一切考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです
悔しさを露にすれば自分の心が乱れます。自分の心が乱れれば、次にど真ん中の好球が来たとしても打てません
「僕らはプロ。結果が出なければクビ」です。結果を出すことが何よりも求められます。そして僕にとっては、結果を出すための何よりの近道が、チーム最優先の打撃をすることなのです。
終わりはないと思うんです。一つ何かをクリアしても、その先にはまた一つ新しいテーマがある
大型契約で強い責任を感じております。それが、ぼくの力に変わると思っていますし、100%の力を出す自信はあります
僕もヤンキースの誇りを持って生きています。そしてこれは、自分を支える財産にもなっています
高校時代もジャイアンツにいた頃も走って、自分でスイングして自分のバッティングを作ってきた。必ずその過程を踏まなくちゃ、自分のいいものは出せない
もちろん僕も人並みに悩みます
東洋人特有の柔らかさとか、しなやかさを失いたくないんです
日本海のような広く深い心と 白山(はくさん)のような強く動じない心 僕の原点はここにあります
ヤンキースを選んだのは、あえて自らを厳しい状況に追い込み、自分の潜在能力を引き出したいと思ったからです
□心が変われば行動が変わる □行動が変われば習慣が変わる □習慣が変われば人格が変わる □人格が変われば運命が変わる(星稜高校時代の恩師、山下監督の言葉)高校時代には、あまり意味が分かっていなかったかもしれません。しかし、卒業してプロ野球の世界に入り、大リーグに入り、年を重ねていくにつれて少しずつ理解できるようになってきました。今も自分の心の中で輝く言葉です。
その日、その日のベストを尽くしていきたい
神様は楽をしている人、楽をしていい結果を残そうとしている人、投げやりになっている人には、最終的には微笑まないと思います
最終的には個人の能力だと思います。本人だどう感じ、どう工夫していくかという。日本にもメジャーにも、いろんな教え方がありますが自分のものにしていくやり方はそれぞれ違います。ハッキリ言って合う合わないも含め選手の能力なんです。結果が出る選手は合うといわれる。反対に、力を出せない選手は合わないということになる。全てが選手の能力なんです
これから厳しい戦いが続くけど、自分が選んだ道だから何の後悔もない
悔しさは、それに耐えられる人間にしか与えられない
苦しみや辛さこそが生きている証ではないでしょうか。今、自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、それを補う努力をしていくしかないと思っています
神様は頑張った人や苦しんだ人に、最後は微笑んでくれる
クヨクヨ考えるのは時間と労力の無駄だし、精神的にもあまりよいことではないと思うのです
次の仕事も必要かもしれないけれど、自分にそのエネルギーが湧いてこないことにはどうしようもない
誇りを持つ人が多い組織ほど、ここぞという場面で強いような気がします
プロ野球選手として成功してきた人々は才能だけではなく、失敗を乗り越える力があるのだと思います
一生懸命に練習すれば、必ずいい結果が出ると信じているんです
僕の座右の銘は「一日一生」ですから
生きる力とは成功し続ける力ではなく失敗や困難を乗り越える力
(長島茂雄氏に対して)毎日、毎日、二人きりで練習に付き合ってくださり、ジャイアンツの4番に必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々が、その後の10年間アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。そのご恩は生涯忘れることはありません
花よりも花を咲かせる土になれ
どんな道でも進んでいけば嫌なことはいっぱいあります。それでも逃げないことだと思います
いつか現役を引退するとき、左手首を見つめて「おい、あのとき骨折してよかったよなあ」と語りかけてやりたい
どういうことを言われても自分のプレースタイルは変えられません
僕の活躍を楽しみにしてくれる人がいる。それがどれほど力になるか
僕は変化というのは自分からは求めていません。求めていかなくても変わるところは変わっていくでしょうし。こっちのやり方がダメならあっちの方という考えはないんです
他の日本人選手に先を越され、悔しいという気持ちはありません。それより、自分たちが勝てなかったことの方がよっぽど悔しいです
僕はプロ野球選手として、多くの人に勇気や希望を与えたいと願っています
長嶋監督には一度も褒められたことがありません
(秀喜氏に対して)もっとピッチャーに対するむき出しの闘志が必要です。
受け入れることは勇気が要ることです。正直言えば辛い。辛いのだけれど置かれた状況やありのままの姿を受け入れなければ前に進めないし、問題も解決しません。
野球というスポーツの素晴らしさを子供たちに伝えていきたい。その為にも大きなホームランを打ちたいんです
自分が野球をしていられることが平和であることだと思っています
一度のミスもスランプもない野球選手など絶対にいません
力を出し切ればおのずと良い結果を生むと思います
チームの勝利が僕にとって一番大切です。でも自分が打てなくても誰かが打って勝ったんだからそれでいいという考えは間違っている。