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【俺ガイル】比企谷八幡(ヒッキー)の名言・台詞

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【俺ガイル】比企谷八幡とは

hikigaya-hachiman

比企谷 八幡(ひきがや はちまん)

タイトル:やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
原作:渡航 放送局:TBSほか
放送期間:2013年4月 - 6月(1期)、2015年4月 - 6月(2期)
ジャンル:学園ラブコメ

俺ガイルの主人公。総武高校2年F組に所属。通称「ヒッキー」
幼少時からずっと友達ができず、周囲からは存在を軽んじられたり、上っ面だけの優しさに裏切られたりしたなどの経験から幾多のトラウマを抱えており、他人からの好意を信じることができなくなったために優しくされても罰ゲームなどで必ず何か裏があると見ていて特に女子に対しては強い警戒心と猜疑心を抱いている。

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【俺ガイル】比企谷八幡(ヒッキー)の名言・名セリフ

人生には一度や二度、孤独と向き合うべきときってもんがある。いや、なきゃいけない。
始終誰かと一緒にいていつもいつでも傍に人がいるなんて、そっちのほうがよほど異常で気持ちが悪い。
孤独であるときにしか学べない、感じられないことがきっと存在するはずなのだ。
仕事ってのはやめることはあっても 終わることはねぇんだよ
孤高であることは強い。
繋がりを持たないということは守るべきものを持たないということだ。
守るべきもの、それは言い換えれば弱点にほかならない。
かのギリシャの英雄アキレスにも、最強の僧兵武蔵坊弁慶にも弱点があったからこそ敗れた。
きっと彼らは弱点さえなければ歴史に勝利者として名を刻んだはずである。
したがって弱点のない、守るべきものを持たない、人との繋がりを持たない者こそは最強。
つまり、俺、最強ということである。
舐めんな、監視されようがサボるときはちゃんとサボる。それが俺だ。
いってみれば独りぼっちとは思考の達人だ。人は考える葦であるというように、気づけば何事か思案している。なかでも独りぼっちは他人に思考のリソースを割く必要がないぶんその思索はより深いものになる。したがって我々ぼっちは余人とは違う思考回路を持つに至り、時に常人の枠を越えた発想が飛び出たりするのだ。
青春とは嘘であり、悪である。
まあ、あれだ。
強い獣は群れたりしない。一匹狼という言葉を知らないのかよ。
猫は可愛いし、狼はかっこいい。つまり、ぼっちは可愛いし、かっこいい。
リア充はリア充としての行動を求められ、ぼっちはぼっちであることを義務づけられ、オタクはオタクらしく振る舞うことを強要される。カーストが高い者が下に理解を示すことは寛大や教養の深さとして認められるが、その逆は許されない。
「特殊で何が悪い。英語でいえばスペシャルだ。なんか優れてるっぽく聞こえるだろ」
お互いに期待しない、期待されないというのは結構楽でいい関係なんじゃないかと俺は思う。まぁ、ほら。パンドラちゃんが持ってた箱の中にはあらゆる災厄と一緒に希望が詰まってたっていうじゃんか。あれだよあれ。希望も災厄ってことだ。
本当に何故かわからないのだが、俺たちスクールカーストが低い連中は上位カーストに出会うと萎縮しちまうんだよな。廊下とかで絶対道を譲っちゃうし、話しかけられるとまず八割がた噛む。それでさらに嫉妬や憎悪が高まるかというとそうでもなく、名前なんて覚えてもらっていた日にゃ逆にちょっと嬉しかったりするのだ。
実際、殴ってやろうかと思うほど本気で腹立たしいときだってあるし、そういうときは自分にまったく似ていないと感じる。けれど、ふとした瞬間にまったく同じ行動をとっていたりして愛着というか愛情というか、そんな感情が湧いてきたりもする。はっきりいってよくわからん距離感にいるのが兄弟というやつだろう。
みんな仲良くという言葉自体が元凶なのに。あれは呪いじみたお題目なのに。
あれは強制するための言葉なのだ。ギアスなのだ。
本来、ぼっちというのは誰にも迷惑をかけない存在だ。人と関わらないことによってダメージを与えない、究極的にエコでロハスでクリーンな生き物なのだ。
人間関係に悩みを抱えるなら、それ自体を壊してしまえば悩むことはなくなる。負の連鎖ならもとから断ち切る。それでいいのだ。逃げちゃダメだなんて強者の考え方でしかない。それを強いる世界こそが間違っている。
おいでおいでと誘われた以上、ここで行かないわけにもいくまい。いやもうほんと全然行く気とかないし、紳士であるところの俺がみだりに水着姿の女子に近づいたりするわけないんだけど、呼ばれちゃったらしょうがないし、あ、そうそう俺顔洗わないといけなかったんだよね。ちっ、しょうがねぇから超ダッシュで行くよ!!
ぼっちは人の名前を覚えるのが意外に得意なのである。いつ話しかけられるのかなードキドキと思ってしまうからだろう。
確かに、親が相手だからこそ言えないことというのはある。例えばエロ本のあれこれとか、恋愛がらみのことなんて絶対に親に言いたくないことだ。あと、学校行ったら俺の机がベランダにあったとか下駄箱にゴミ入れられてたとか、ラブレターもらってウキウキしてたら同級生の悪戯だったとか、そういうのって言えないよな。
畢竟、人とうまくやるという行為は、自分を騙し、相手を騙し、相手も騙されることを承諾し、自分も相手に騙されることを承認する、その循環連鎖でしかないのだ。
馬鹿な!俺は断じてシスコンなどではない。むしろ、妹としてではなく、一人の女性として・・・・・・ああ、もちろん冗談です、やめろ、武装すんな
あれだよな、ゲームしてるときとか超しゃべるよな。「かーそれはねーわー」とか「ほう、そう来たか」とか「凛子、好きだよ」とか。おかげで母親に「友達でも来てたの?」とか言われて「え、で、電話・・・・・・」とかおろおろしながら答える羽目になるんだ。もう家でラブプラスはできない。
たぶんこの光景を忘れない。忘れられない。
あの眩しいステージにはいないけれど。
飛び跳ねるアリーナには混じれないけれど。
一人で、一番後ろで、ただ眺めているだけだけれど。
でも、きっと忘れない。
おいおい、そんなんじゃ一級拒絶鑑定士の俺の目は誤魔化せないぜ。女子が本当に拒絶するときはもっと冷たい目をしてほとんど無表情で「あの、本当にやめてくれる?」って言うんだぜ。心臓凍えるかと思う程怖いし、死にたくなる。
ばしゃばしゃと何度か顔を洗っていると不意に聞き慣れた声が聞こえた。
「あら、川に向かって土下座?」
「んなわけねーだろ。あっちの方向に聖地があって一日五回の礼拝をだな・・・・・・」
青春のまっただ中にいる彼らは、敗北すら素敵な思い出に変えて見せる。いざこざももめ事も悩める青春のひと時と化して見せる。
彼らの持つ、青春フィルターを通してみれば世界は変わるのだ。
だとすれば、俺のこの青春時代もラブコメ色に染まるのかもしれない。間違ってなどいないのかもしれない。
なら、俺が今いるこの場所もいつか輝いて見えるのだろうか。死んだ魚のように腐った目でも。
おそらく、非モテぼっちほどのリアリストはいないだろう。
非モテ三原則【(希望を)持たず、(心の隙を)作らず、(甘い話を)持ち込ませず】を心に刻んで生きているのだ。
ていうか、これ当たってる!あ、離れた!また当たった!さっきからおっぱいがヒット・アンド・アウェイ!やべー、このおっぱいモハメド・アリだよ・・・・・・。
ぼっちには「バカをやる」という行為がなかなか理解しがたい。ノリが悪いと言われる所以だ。別に恥ずかしいわけでないのだ。ただいろんなことを考えてしまうから簡単には動けない。人の迷惑ではないだろうかとか危なくはないだろうかとか自分が入ることで今の楽しい空気が乱れはしないだろうかとか。
働かなきゃいけないうえに人間関係まで気を遣うとか罰ゲームかよ。人間関係手当ちゃんとついてんの?追加料金発生しないとおかしいだろそれ。やっぱり俺は働いてはいけないんだと思いました。
なぜ自分の感じている楽しさを、自分の正しさを、己一人で証明できないのか。
わかるかよ、馬鹿みたいに暑い夏の最中も指先ちぎれそうなくらい寒い雪の日もたった一人で自転車漕いで登下校するつらさが。お前らが暑いだの寒いだのありえないだの言い交して騙しごまかし紛らわしてきたのを俺は一人で切り抜けてきたんだぜ。  
わかってたまるかよ。テストのたびに試験範囲を誰に確認するでもなく、黙々と勉強して、自分の出した結果に真正面から向き合う恐ろしさが。お前らが揃って答え合わせして点数見せ合って馬鹿だのガリ勉だの言い合って現実から逃げ合ってるのに俺は真っ向から受け止めてるんだぜ。
俺はな、こういう、男女で脱衣とか、罰ゲームで盛り上がるとか、そういう、頭の悪い大学生の飲み会みたいなノリが、いっちばん、嫌いなんだよ!いや、むしろ憎んですらいる!
誕生日。
それは自分自身が生まれた日であると同時に、新たなトラウマが生まれる日でもある。
例えば俺だけが呼ばれなかった誕生日会、俺のためかと感動してたら俺と同じ日に生まれたクラスメイトのために歌われていたバースデーソング、俺の名前が間違っている誕生日ケーキ・・・・・・。ていうか、最後、俺の母ちゃん何やってんだよ。息子の名前間違えんなよ。
俺も将来、嫁さんに養ってもらうときは充分にいたわってあげよう。それがヒモを越えた超ヒモというやつである。
服選んでるときに話しかけるのほんとやめてほしい。服屋の店員さんはぼっちが放つ「話しかけんなオーラ」を感じ取るスキルを身につけたほうがいい。そのほうがたぶん売り上げ上がるぞ。
実家楽すぎて最高だしな。限界まで働かない、それが俺のジャスティス
みんなって誰だよ・・・・・・。
かーちゃんに『みんな持ってるよぉ!』って物ねだるときに言うみんなかよ・・・・・・。
誰だよそいつら・・・・・・。
友達いないからそんな言い訳使えたことねぇよ・・・・・・
誰かの顔色を窺って、ご機嫌とって、連絡を欠かさず、話を合わせて、それでようやく繋ぎとめられる友情など、そんな物は友情じゃない。その煩わしい過程を青春と呼ぶのなら俺はそんな物いらない。
ぬるいコミュニティで楽しそうに振る舞うなど自己満足となんら変わらない。そんなものは欺瞞だ。唾棄すべき悪だ。
あと、誘われたとき、すぐ「適当に連絡くれ」って言う奴はだいたい次から誘われなくなる。これ豆知識な。ソースは俺。
俺も授業中居眠りしてて起きたらクラスに誰もいなくて閉鎖空間にきたのかと思ったこともある。移動教室で誰も起こしてくれなかっただけなんだが。
いや、俺にはわかる。なんというか、お前がメイド服着ても全然ダメだ。なんか学祭のノリで着てる、イラッとくるタイプの大学生にしか見えない
おいおい、あんま気安くすんなよ友達なのかと思っちゃうだろ。
話しかけられて喜ぶ最大の理由は自己承認欲求が満たされるからなのだと俺は思う。
涼しい部屋で一人読書するのも、風呂上りに一人で「うひょー!」とか叫びながら裸でアイス食うのも、夜中にふと一人で夏の第三角見るのも、蚊取線香に火をつけて一人うっとりするのも、風鈴の音を聞きながら一人うとうとするのもどれも素敵な夏の思い出だろうが。
夏は一人でいい。一人がいい。暑いし。
ぼっちは平和主義者なのだ。無抵抗以前に無接触。世界史的に考えて超ガンジー。
俺もそうだが悪口や暴言は言われ慣れてると切り返し方と言うか折り合いのつけ方がうまくなるのだ。何この悲しいスキル。涙出てくるわ。
ぼっちが誇るべきはその深き思索。
本来、対人関係に割かれるべきリソースをただ自分一人に向け、内省と反省と後悔と妄想と想像と空想とを繰り返し、やがて思想と哲学とに行きつくほどに、無駄な思考力。
成績優秀スポーツ万能エリート一家のイケメンリア充で美少女の幼なじみがいる。
ふむ・・・・・・。なんかこううまく言えないが死なないかな。
ぼっちの特性として「自分の名前を呼ばれることに敏感」というのがある。普段、名前を呼ばれることが少ない分、たまに呼ばれたときに超反応を示してしまうのだ。ソースは俺。驚きのあまり、「ひゃ、ひゃうい!」とかとんでもないリアクションしちゃうよな。
基本的に後ろの席というのは言ってみれば貴賓席なのであり、最大派閥が陣取ると相場が決まっている。そこに混じることは大変な苦痛を伴うので、一番前や真ん中あたりが俺の指定席となる。前のほうの席でも右端左端は死角になりやすいので、ぼっちが狙うべきはそのあたりだ。
いや、しかしほんと菌扱いはトラウマを刺激するからぜひやめて欲しい。俺が触っただけで「比企谷菌だぁ~!」「タッチー!」「今、バリヤしてましたー」とか始まるんだぜ?小学生残酷すぎるでしょ「比企谷菌にバリアは効きません~」とかどんだけ強力なんだよ。
あんな感じのが友達なんじゃないだろうか。あんなどうでもいい会話をさも青春しているかのように、話し合えるのが友達なのかもしれない。俺なら途中で噴き出してしまって絶対無理だ。なんだ親リスペクトって。お前はJーRAPの人かよ。
「内輪ノリとか内輪ウケとか嫌いに決まってんだろ。あ、内輪もめは好きだ。なぜなら俺は内輪にいないからなっ!」
お金持ちはプライベートジェットやプライベートビーチなどを持ちたがる。常にプライベートタイムであるぼっちは人生の勝者、つまりぼっちはステイタスというべきだ。
女子との会話ってもっと心躍るものじゃないのかよ。心が沈みしかしねぇよ。これなら普段俺が会話しているぬいぐるみのほうがよっぽどいいよ?口答えしないし、にこやかに微笑みかけてくれるし。なんで俺ってドMに生まれなかったの?
累進課税が幸福の平均化を目的としているのであれば、愚かと言わざるを得ない。そもそも平等な幸福などあり得ない。何より金銭面でのみ人の幸福を測ろうというのが既に浅ましく、思慮に欠けている。これからは友達や恋人の数に応じて課税する「リア充累進課税制度」も導入が検討されるべきであろう。
「人に好かれるくせにぼっちを名乗るとかぼっちの風上にも置けねぇな」
MU☆SHI!
いっそ清々しいほどの無視だった。おいおい、これもう無視の領域じゃねぇぞ、黙殺だ黙殺。ポツダム宣言並みに黙殺されたよ、今。歴史の教科書に載るレベル。
知ってるんだ。言葉が届かなくても意志を伝える方法を。
ろくに会話してこなかったからな。
休み時間の寝たふりとか、頼みごとされたときの嫌そうな表情とか、仕事中のため息とか。
言葉がなくても意思表示はしてきたから。
みんなでやることが素晴らしくて、みんなでやることがいいことで、じゃあ、一人でやることは悪いことなのか?
どうして、今まで一人でも頑張ってきていた人間が否定されなきゃいけないんだ。
そのことが俺は許せない。
"なんでかわからんが連中、特に用がないのに群れてたりするからな。知ってる顔を見つけると近づかずにはいられないんだろう。子犬ちゃんみたいなもんだと思えば気にもならない。"
声をかけられた瞬間、すかさず顔を逸らして空欠伸。「今、欠伸しててそっちに気づいてませんよー」と遠回しにアピールする。この手のやり過ごし方は得意だ。
では、拙者、このあたりでドロンさせていただくでござる。
言うまでもなく、いつでもどこでもドロンと消えているようなもんだけどな。
けれど、俺は今の自分を過去の自分を否定しない。
一人で過ごした時間を罪だと、一人でいることを悪だと、決して言わない。
世の中には言うべきではない言葉も多く存在する。特に人様の命に関わる言葉はとても強く作用する。誰かの命を背負う覚悟がないならけっして口にするべきではない。
(中略)
「死ねとか殺すとか軽々しく言うんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」
真の強者は群れたりしない。ひとりぼっちってやつはいつだってこの世界全てと対立しているようなものだ。俺VS.世界とかまるでセガールである。セガール的に考えて俺マジセガール。
人に知られてなくてごめんなさい、とかこんな悲しい謝罪をするのは初めてである。
彼ら彼女らスクールカーストが高い人間は自分より下のカーストにいる人間に対して悪感情など抱いていない場合が多い。悪感情どころかそもそも興味がないのだ。
「ばっかお前。俺なんてほんとアレだぞ、ちょっとその気になればなんてことないぞ。クラス替えで皆がアドレス交換してるときに携帯取り出してきょろきょろしてたら、『・・・・・・あっ、じゃ、じゃあ、こ、交換しよっか?』って声かけられる程度にはモテたといっていいな」
一人なら無色透明でノーダメージだが、先生と組まされると、無職童貞くらいのダメージを受ける。
変わらなければ悲しみは生まれない。たとえ何も生まれなかったとしてもマイナス要素がでないというのは大きなメリットだと思うのだ。収支表を照らし合わせて赤字になってないならそれは経営方針としてけして間違いではない。
だから俺は変わらないでいることを否定しない。過去の俺も、今の俺も否定する気はさらさらない。
・・・・・・ああ?握手?なんだってリア充ってやつはこうも慣れ慣れしいのかね?まったく、ほんとふざけんなよ。アメリカ人かってんだよ。
「お、オーケー」
おかげで英語で返事しちまったじゃねぇかよ。
彼らの仲間意識というのは相当なもので、自分の群れ意外とはあまり話さない。単独行動時に他の群れに交じろうとしない。それを考えると結構排他的であり差別的だ。
つまり、逆説的にぼっちマジ博愛主義者。何も愛さないということはすべてを愛することに等しい。やべぇ、マザー比企谷と呼ばれるのも時間の問題だろこれ。
今日から始める、一人なんて怖くない対策その一、「他人を見たら他人と思え」である。ちなみにその二はない。
"みんな"が言うから"みんな"がそうするから、そうしないと"みんな"の中に入れてもらえないから。
でも、"みんな"なんて奴はいない。喋りもしなければ殴りもしない。怒りも笑いもしない。
集団の魔力が作り出した幻想だ。気づかないうちに生み出していた魔物だ。個人のちっぽけな悪意を隠すために創造された亡霊だ。仲間外れを食い殺して仲間にすら呪いを振りまく妖怪変化だ。
ほんと急に下ネタになるとどう反応したらいいかわからず、ワンテンポ間を開けてから「最近性欲ないわー」とか見栄を張ってしまうのは何故なんだろう・・・・・・。
おかしい。俺の知る限り、彼ら彼女らリア充どもは静寂を恐れるものだ。それはもう火を恐れる獣の如く。沈黙=つまらないと解釈し、自分がつまらない人間であることを悟られまいととにかく喋る、騒ぐ、はしゃぐ。
俺と会話するなんて、こいつも実はいい奴なのだろうか。
だが、いい奴なのだとしたら話を広げてやれなかったのが申し訳ない。
あまりにも申し訳ないので今後は迷惑をかけないように二度と話をしないことにした。
「本当に怖いのは身近な人間だよ。中途半端に信頼しているから、裏切られるなんて思っちゃいない。予想外のところからくるから怖いのさ。
元来、人間のコミュニケーションは言語によって行われているのは三割程度だという。残りの七割は目の動きやちょっとしたしぐさから情報を集めているのだ。目は口ほどに物を言う、という言葉はこうした非言語コミュニケーションの重要性から来ている。つまり、逆説的に考えて、会話をしないぼっちでも七割がたコミュニケーションできているということである。違うか、違うね。
俺だって、純粋だった中学生の頃は勇気を出して可愛い女子にアドレスを聞いたことくらいある。そのたびに、『ごめん、今電池切れてるんだよねー。あとでこっちからメールするね。』と言われたものだ。俺のアドレス教えてないのにどうやって送るつもりなのか不思議。未だに待ってるんだけど・・・・・・。
しかし、あれだ。なんだって彼ら彼女らリア充というものは距離を近くとるんだろうな。スキンシップが自然というか、お前アメリカ人かよというか。ツッコミで人の頭を叩くとか何かあったときに抱きつくとかそういう行動が実にスマートだと思う。あいつらエヴァに乗ったら絶対ATフィールド発動できねぇぞってくらい心の壁がない。
「みんながぼっちになれば争いも揉め事も起きないだろ」
俺がミニ四駆で遊んでいた頃からもう何年もたつけれど、未だにあのときの情熱が息づいている。今だって雨上がりには傘の剣を振り回しちゃうし、虚構の世界で何度も世界を救っている。
たぶん、大人になっても思い出すんだ。
世代が違っても、結局根っこのところじゃ変わらない。
だからずっと、男の子の時間は終わらない。
けれど、俺だって、いつかは変わるのだと思う。
必ずいつか変わる。変えられてしまう。
俺自身の心はどうあれ、その見られ方、捉えられ方、評価のされ方はきっと変わる。
万物が流転し世界が変わり続けるなら、周囲が、環境が、評価軸そのものが歪み、変わり、俺の在り方は変えられてしまう。
だから。
――だから俺は変わらない。
それにしても、リア充は「やっべガッコマジだりぃ。うは!夏休み中に教科書失くしたし!」とか言いながらなんであいつらあんなに学校大好きなの?毎日来るよね。心にもないことを言うのがリア充なのだろうか。つまり、嘘つきはリア充の始まりである。
自分だけでは自分を肯定できないから、だから彼らは徒党を組む
けど、こういう光景はなんだか懐かしいな。修学旅行や林間学校の帰りのバスみたいだ。はしゃぎ疲れたクラスメイトたちは元気を使い果たして静かになっているのだが、俺は特に元気を使うシーンもなかったせいで、一人冴え切った眼でずっと外を見ていたものだ。
地元の公立小学校から公立中学校にあがる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。小学校卒業時のマイナスを抱えたままスタートしなければならない。新しく友達ができそうになっても、過去の負債がどこからか入り込む。
同じカテゴリに属し、恒常的にコミュニケーションを交わしているからこそ、その親密性は保たれる。そうしたシチュエーションに依存して人の関係性はようやく接続できるのだ。
だからそれを断ってしまえば人はいつだって一人になれる。
それこそ、電話やらメールやらでしか繋がらない、あるいは繋がれなくなる。それを人は友情と呼ぶのだろうか。きっと呼ぶのだろう。だから、みんな携帯電話にすべてを託し、友達の数と電話帳の登録数をイコールで換算する。
訓練されたぼっちは二度も同じ手に引っかかったりしない。じゃんけんで負けた罰ゲームの告白も、女子が代筆した男子からの偽のラブレターも俺には通じない。百戦錬磨の強者なのだ。負けることに関しては俺が最強。
顔も性格もいいだと・・・・・・。悟空とベジータがポタラで合体したくらいの絶望感だ。もうなんでこいつ生きてるんだよ。
環境が変わってもお前が変わるわけじゃない。高校入れば何かが変わるっていうのは幻想だ。夢を見るのはやめておけ
ただ一人黒板の前に立たされて、その周囲を同級生がぐるりと囲み「しゃーざーい、しゃーざーい」と手拍子とともにシュプレヒコールを上げたあの地獄にも似た光景。
・・・・・・あれは本当にきつかった。後にも先にも学校で泣いたのはあれだけだ。
学生生活における「みんなで遊びに行く」というのは踏み絵なのだ。まず、誘われるかどうかでふるい分けられ、実際に遊びに行った際の対応でランクが分けられる。
いいか、雪ノ下。生きているというのは何よりも尊いんだ。それを恥ずかしく思うだなんてそのほうが恥ずかしいんだぞ?だから、俺のことを見て『はっずかし~ぷっくっすくす』とか笑っちゃう奴らに生きる価値とかないよな
ちなみに「意識が高い」「刺激を受ける」「みんなを巻き込む」とかこの辺の言葉、俺は大嫌いだ。リア充(笑)ってこういうワード好きだよね。あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ。

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