ジャン・コクトー(Jean Cocteau)
職業:芸術家、詩人、小説家、劇作家、評論家 誕生:1889年7月5日 死没:1963年10月11日 出身:フランス
詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」とまで呼ばれた。
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ジャン・コクトーの名言格言
人生は、水平方向に落ちていくことである
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
愛することは、愛されること
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
青年は決して安全な株を買ってはならない
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる
芸術は、意識と無意識の融合である
詩人はつねに真実を語る嘘つきである
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
先に見出し、後に捜し求めよ
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
手には、物を掴む手と放す手がある
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
(「死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?」と意地悪な記者に聞かれて)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
人間は、毎日生まれ変わる
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
美はざっと見てもわからない
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
詩人は未来を回想する