井村雅代(いむら まさよ)
職業:アーティスティックスイミングの指導者、元選手 誕生:1950年8月16日 出身:大阪府
日本、中国、イギリスのアーティスティックスイミングの指導者、元選手。
Sponsored Link
井村雅代の名言格言
開催国の中国が強くなったら日本のシンクロの素晴らしさをアピールできる
常に今ある自分の一歩先でも、より高いレベルを求めて欲しいから、真剣に叱るのです
ここは外国と一緒や
もちろん長所を伸ばすことは大切です。でも、短所や苦手なことに目をつぶるのは絶対に駄目です。短所を克服することを避けていると、それが引け目になって精神的な弱さにつながるんです。そして「いざ」というときに、その弱さが出て致命傷につながってしまいます
ワタシ、根気あるでしょ。またの名を、しつこいの“しつ子”というんです
どうにもならないことなんて世の中にないんです。必ずどうにかなる。それを考えるのが人間、それを教えるのがコーチです
たとえ一流選手でなくとも、今より絶対うまくしてやりたい。うまくしてやれなかったら、自分自身が許せない
子供の人間形成に大きな意味を持つ「達成感」を味わわせる為にも、強制的にやらせる断固とした態度が絶対に必要なのです
学力の1番もあれば運動の1番もあります。やさしさの1番も大切なことです。すべてを同じものさしで測ろうとするのはまちがいです
自分にとっての聖域はちゃんと残しておくべきです。そうした線引きをきちんとして、自分を守り、自分が自分らしくいることはとても重要です
自分にしかできないことをひとつひとつやれば、絶対よくなるんです
モデル体型ばかりで筋肉が無かった
私が浜寺に入ったのは小学校4年生のとき。水練学校といっても、プールがあるわけじゃない。海でひたすら遠泳です
だから、わたしは断ることができなかった。これはいつか日本が世界一になるために大切なことなんだと思ったんです
私は中学1年のときに、浜寺の全課程を卒業したんですが、その時点で、日本水泳とシンクロと水球の3つの種目の内、どれかを選ばなければならず、私はシンクロを選んだんです
それよりも大事なのは、何か壁にぶつかったときに諦めずもっと頑張ろうと素直に思える「心の才能」。これがなかったら、一流になることはまず無理です。シンクロに限らず、ほかの競技でも同じだと思います
日本と中国が世界一を争う姿 それが一番望むところです
いまにして思えば、確かにあのときが最大の試練だったんやろうね。でも当時は辛いとか考える余裕もなかった。ただぐっと堪えるしかなかった
指導をする上で「具体的なゴールがしっかり見えている」ことが何といっても大切です。その子をどうしてやりたいのか。どんな演技をさせて、どんな結果を出させてあげたいのか。そのために、どんな技術をいま身につけさせなければいけないか。そういうゴールがあやふやなままで、ただ「頑張れ」なんて言っている人は指導者失格です
情熱だけで物事を解決できるならいいけれど、そううまくはいかない。そこに論理や分析がなかったら、物事はいいようには向かない。傾向と対策があって、分析できたら、次に初めてハートの出番です
私、当時から子供たちに怒ってたよ(笑)。ただ、無駄な怒り方やった。いまは年いったおかげで、エネルギーをうまく使えるようになった
同調性など、日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。脚光を浴びるでしょうから
若者気質も時代も変わっている。育ち方も教育も変わってないから、日本語が満足に伝わらないの
人間は引っ張られたほうが変わりやすい。その引っ張り役が教師であり、コーチであり、会社の上司であるわけです。その人の熱意や情熱のによって「できるかな」から「できるみたい」に変っていくんです
いずれにしても、泣いたからといって、私はいっさい手加減しません。彼女たちにとっては、泣けば泣くほど練習がきつくなるだけです
そして、自分はこれで限界だと思ったら、これ以上伸びない。それで自分は止まってしまう
適性がないとわかっていながら、「可哀相だから」と本当のことを告げずにやらせ続けるのは、いわば詐欺行為です。本人に勘違いさせているのですから、詐欺以外の何者でもありません
私はコーチとしてよく叱ります。基本的には言いたいことは我慢しません。本音をズバズバ言います。嫌われるのは大いに結構。「好き」だなんて言われたら、キツイ練習をしにくくなりますから(笑)
私自身は大したことない選手だったんですわ。このときは先輩4人がうまい人ばっかりだったから
「世界に勝負を挑むことに意義がある」であり「参加することに意義がある」ではない
褒めてあげてもいい。でも、頑張っていればいるほど、心を鬼にしてもっときつい課題、きついハードルを設定するのです
一流選手がプレッシャーに強いかというと、そうでもないですよ。結局、どんな人でも自分の大きな願いが叶いそうになると、ひるむものなんです。だから、本番は普段の実力からたいてい目減りする。でも、それは仕方ないですよ
指導者があきらめなければ、どんな選手もうまくなると信じている。だから、“ワタシは、あきらめへん”のだ
泣いて上手になるんやったら、私が代わっていくらでも泣いたげる。泣いてもその分疲れるだけやで!
あんたは、これがダメなんやな。じゃ、こっちをやってみい
スポーツ選手でかっこいいのは競技で勝ち、普段は人を思いやれる普通の人であること
私は勝負師です。勝負に徹して選手を勝たせないと、選手に教えている教育者の理屈が通らない。「人間は理屈をこねずにやればうまくなる。だから自分の才能を信じなさい」といいながら、選手が負けていたら私の理屈が通らない
それをどうやってクリアするかを考え、選手たちに練習させます。大事なことは期限を決めることです
私が心がけているのは、わかりやすい指導者であるということです。怒られる基準が曖昧だと、選手は何をしていいのかわからず不安だと思うのです
あるいは、「なんとか壁を突破する方法はないか」と前向きに考えられる姿勢を持っている。悪くいえば、「しつこい」ともいえます(笑)
あなたが変わるまで絶対、離れません
世界はみんな、ワタシのことに一目置いてくれていると思うから、あの子たちにそれを利用してほしいと思うんです
ワタシは手品師でも何でもない
案の定、次の年に先輩たちがやめたら優勝を逃して、その後は負け続け。あのとき、再び勝つまではシンクロをやめられないと思ったんです。負けっぱなしでやめるのは嫌だった
私が、オリンピックに出られるシンクロの選手につくり変えていくんです。それが職人だというんです
もっと、足を上げんか、足を!
強い選手には決まって、そういった風格がある。強い選手が通ったら、みんなパッと見るでしょ。カッコいいと思うでしょ。だから、選手には言うの。“精悍になりなさい”“風を切って歩きなさい”って
だめなものはだめ、とはっきり言う。その点では絶対譲らない。できるまでやらす。それは「きつい」のとは違う
上手い子供が贔屓されるのは当たり前。悔しければ、贔屓されるくらいの子に育てなさい
24歳のとき、大学を卒業して中学校の教師になって1年目にようやく優勝できた。目標を達成したから、すっぱり選手をやめたんです
悪いところを指摘するということは、克服したらもっと良くなるということでしょ
人間ってすごいと思うのは、気持ちが通じるということです。国なんて関係ない。言葉ではなく大事なのは思いなんです
一緒に練習できる仲間がいることはありがたいことなんや
(練習量について)限界決めないで行け行け、言いますよ
ずっと自分に言い聞かせていることがあります。「わかりやすいコーチであること」「お天気屋のコーチには絶対ならない」「決してしつこくない」この三つです
本気で向き合っていけば、必ず通じます
あまり叱っている感覚がないんです。ほんとうのことを言っているだけです
短所を長所に変えることは不可能ですが、短所でなくすことは可能です。だから「逃げたらアカンよ」と選手にはよく言うんです
仕事が来たら、まず全力投球で頑張れ。その仕事が自分に合うか合わないか、まず自分が会社に合わせてみて、その色に染まってみてから判断しなさい。半身に構えて仕事をするなと言いたい
でも、シンクロをやることを通して何かをつかんでほしい。人間として成長してほしいんです。できないことができるようになる、その達成感を子供たちに味わってほしいんですよ
足をもっと細くや!
裏でガタガタ言わないこと。練習が終わってから、あの子はどうこうって、女性特有の陰口あるでしょう。あれは絶対しない
世界と互角に戦えなければ意味がない!
自分の可能性をどこまで信じるか。自分がこれでいいと思ったら、これ以上向上できない
うまくいかなかったときは、人のせいにしないで、まずは自分の中に理由を見つけなさい。言い訳とか人のせいにしないで、自分で理由を見つけて解決してけばいい
世界は戦車、日本は竹やり
指導者は、人を育てるとき、ゴールが見えているかどうかが大事です。ゴールが見えてもいないのに、がんばろうよなんていったい何をがんばるんやって
スピンの練習をしていたときです。微妙に合っていないところがあった。感覚としてはわかるけど、具体的に指摘できない。だから、『だいたい合ってるわ』って言ったら2人は、『水の中では違うもんね』って答えた。ムカつきましたよ(笑)。合っていないのが彼女たちにはわかっている。ところがコーチの私には見破れなかった
どのタイミングをとらえて叱るかによって、効果は大きく違ってきます。いちばんいいのは、何よりも「現行犯逮捕」です
叱るときに心がけていることは「叱る絶対三点セット」を厳守することです。まず、相手の「悪いところをハッキリ指摘し」、次に「直す方法を指導する」。最後に「それでいいかどうか、直ったかどうか、OKかNGかをきちんと伝える」。叱るだけで直す方法を言わなかったら、選手は自信を無くすだけです
プレッシャーなんか、とことん感じればええねん。そうすれば、がちがちになっても、何にもならないことに気がつきます
勝ちたい気持ちがあるけれど、彼女たちにはそれが実を結んだ経験がない。どこでもいいから、勝たせてあげたい
負けたくない。自分の選手は絶対、表彰台に立たせてやりたい
一流は環境を全て受け入れて、どうベストにもっていくかを考える
「何でもやらなきゃわからないでしょ」と育ったおかげで、チャレンジ精神が身につきました
みんな欠点や課題があったら自分は駄目だと思うけど、そうじゃない
すごく温厚になってね、丁寧になりました。10歳トシをとって、それはもう、丁寧になりました。それはなぜかといえば、コトバが通じない国に行っていたから
最も嫌いなことは現状維持。背伸びしなさい、無理をしなさいと言い続けます
そんな顔で審判員がいい点なんてくれるわけない!1回、ちゃんと自分の顔を見てごらん!
一流選手になる人は、何か壁にぶつかったとき「自分には才能がない」「仕方がない」と諦めるのではなく、「自分は頑張ってきたつもりだけど、おそらく頑張り方がまだ足りない。だから、もっと頑張ろう」と素直に思える
自分が思っているより自分ってもっとできる
自分の限界を決めるのは自分で、敵は最終的には自分です
その子に悪いところがあったら叱る、ただそれだけ。コーチとして見たこと、感じたことをきちんとその場で言う
一流の世界は固定化したものではなく、日々発展しているものです。同じ地点に止まっていたら、どんな人でも取り残されてしまいます。だから一流の人ほど、自分のことを一流だと思っていません
現行犯逮捕と一緒で「悪いのを見たらすぐ叱ること」が原則
駄馬を名馬に変えるのが、コーチの仕事です
チーム全体のレベルは、トップを基準に合わせるように挑戦させ続けます
私は選手に「私はこういうことが大嫌い。こういうことをしたら怒るから」と、怒るポイントを必ず伝えています
トレーニングで泣く子にはなおさら厳しく、非情になります
私は頭ごなしに指導しているように見えて、実は押したり引いたりしているんです。追い詰めていると思ったら、パッと救いの手を差し伸べる。でないと、その子を駄目にしてしまいますから
一番大事なものは、何ものも恐れない攻める気持ち
目減りしても結果を出せるように、普段の実力を高めておくしかないんです
人には必ず、才能がある
無駄、不必要な怒り方はせず、ポイントを押さえてガツンと怒る
自分たちが目指すべきものが明確になったら、いま何をしなければならないのかがわかります
叱ることと、次に叱られないためにはどうしたらいいかを教えることが、いつでもちゃんとワンセットになっていなければなりません
ロシアのコーチやアメリカのコーチだって、いろんな国で教えているじゃないですか。シンクロはロシア流、アメリカ流、日本流とテイストが違うんです。だから、日本のコーチだっていっぱい世界に出ていったほうが、日本流がメジャーになっていくわけです
足が斜めになってるやんか!サイアク!
私が優勝したときのチームメイトを教えていたんですが、デュエットで優勝した双子の姉妹がいたんです。私はデュエットでは3位だったから、力は向こうのほうが上
コーチが体を張って賢明に教えていたら、誰も文句など言えなくなります
(自身がどう変わったのか?)温厚になったね
不運は考えても無駄。不運なときはこれはどん底やスタート地点やと思って、今よりも一歩前に出る方法を考えるようにします
結局のところ、世界で戦えるレベルにまで登りつめるには、ほかの人より努力するしかないんです
トライせえへんのやったら帰り!
叱るとは、あなたはすばらしい人間だと教えること
言いたいことをハッキリいうのは勇気がいります。でも、妙な探り合いをするよりよっぽどラクです
一流選手だからといって、身体的な才能に恵まれているとは限りません。身体的な才能はどうにかなるんです。たとえ足や手が短くても、短く見えないようにする方法はいくらでもあります
もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです
単なる精神論、根性論だけではない
選手を追い詰めていることに気づかず駄目にしている指導者は非常に多い気がします。とくに「この子のため」と使命感に酔っている指導者はそうなりがちです。そんなの最低やと思います
世界中からあの国は楽しそうだねと、世界中のジャッジから心の応援されることが大事
限界をつくらない『心の才能』こそ一流選手の条件
脚が短いのは構わない。短く見えることがダメなんです。脚が短くても、筋をぎゅーっと伸ばして、人の目をぐーっと上にいくようなオーラを出したら、長く見えるじゃないですか
超一流には、「まあいいか」は絶対にありません
だから、いつも言うのは、欠点や課題があるのは良いことなんだって。欠点や課題を一つでも克服したら、一歩前進できるじゃないですか
昔も今も変わらないのは、絶対本人が分かるまで、良いということが伝わるまであきらめないことです