北島三郎の名言格言40選

北島三郎(‐)

日本の演歌歌手、、作詞家、作曲家、馬主。『函館の女』に始まる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズなど、数多くのヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。

北島三郎の名言格言

引退のときは全曲を歌っちゃおうかな。朝から晩までかかりますが

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私を支えてくれる、“縁の下の力持ち”、一騎当千のスタッフの心からの協力があってこそ、北島三郎の歌と舞台は完成するのです

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「北の漁場」のような海の歌のときに浮かんでくるのは父の顔です

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「与作」のような山の歌を歌うとき、スーッと浮かんでくるのは母の顔です。忙しい野良仕事の合い間に大きなおっぱいを弟や妹に飲ませている、母の姿です

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お茶には茶道、生け花には華道、書には書道というものがあります。日本人の心の歌、艶歌に「歌道」があったっていいのではないでしょうか

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歌の仲間たちにこんなに熱く応援していただき、北島はこれで紅白を卒業させてもらいます

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わが家は、私の地方公演が、一年の半分以上も占めるため、普通の家庭よりずっと親子のスキンシップのすくない家庭です。そこで私はある日、地方へ出かけるときと帰ったときは、かならず妻も含め家族の一人一人としっかり握手しようと決心をして、欠かさず実行してきました

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(大島優子の卒業宣言について)昔なら考えられなかったが、それも時代ということ

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「うた」を楽しく聞きながら暮らす多くの人は、「うた」で素晴らしい景色を思い浮かべていたんじゃないかなあ。今は、「うた」が慰めとか励ましというけど、あのころは思い出を作ってくれていたんだよ

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(近年の紅白について)今は自分たちの出番まで、何も用事がない。人ばかり多くて…。ものすごく多い。人数の多いグループが多いから、大変ですよ。楽屋もいっぱいで

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私が上京すると言った時、母は猛反対。すると父は「俺は長男として長い間したいこともできず、責任ばかり負わされてきた。穣には好きなことをさせてやりたい」と説得したそうです。ただ父は私にこう言いました。「東京へ行って困って帰ってきても、もうお前の田畑はないぞ。それだけは覚悟して行け」

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最初の海外公演は昭和51年5月のロサンゼルス・サンフランシスコ公演でした。私は外国へ行っても、英語で歌ったりはしません。日本の舞台とまったく同じ、すべて“北島三郎流”

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おまえ、来ることの無い人を待ち続けた事があるか?演歌ってーのはそういう人達の祈りじゃないのかな?

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私は自分の歌を唄うとき、“隠し味”を一ヶ所か二ヶ所、必ず入れておきます。私にしか出せない味を伏せてあるのです

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上ばかり見ていてはダメで、支えているのは大地に張った根っこ

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拍手が鳴り止み会場が静かになると、いつものように自然に両手が合わさり、祈りの姿になりました。右の手は、私を産んでくれた父と母への愛、左の手は、私を励まし支えこれまで育てて下さったファンの皆さまへの愛、なのです

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東京近郊で私の公演がある日は、カミさんは義母や弟、妹を連れて「サブちゃん!」を連呼する応援役。声援ばかりかテープまで投げつけてきます。つまりサクラですね。一階の前のほうで叫んでテープを投げたかと思うと、今度は二階席から「サブちゃん!」。いやはや実に頼もしい“私設応援団長”でした

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尊敬している人は、この世界の諸先輩全部。ライバルなんて失礼で言えない

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お客さんが支えてくれないと(舞台は)できません。温かいご声援、ご支援がどんなに私たちに栄養を与えているか

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歌というのは、一ヶ所(たまに二ヶ所)だけ、聴かせどころ、ピークの部分があります。その部分を感情を込めて思いっきり歌い上げるためには、その前後の箇所を丁寧に、語るように歌い込む。このメリハリが“聴かせる”のです

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現在、私の前に道はありません。その道なき道を、私は一歩、一歩あゆむことによって、歌の道にまい進しようと決意しています

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泣いたりしたらお客さまに失礼ですから

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歌手に体力なんて必要ない、なんていう歌手がいたら、私はその人をプロの歌手とは認めません。歌い手は、腹の底から、心の底から“詩とメロディー”を謳い上げるのです

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長年歌手として舞台に立っていますと、その日その日の舞台の雰囲気が手にとるように、わかるようになります。拍手の仕方、掛声の飛び方、お客様の体の揺れ方、それやこれやで、どれだけ熱心に聴いて下さっているかがわかるのです

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母は生前こう言っていました。「いい木にはいい花が咲き、いい実がなる。だが、いい木には肥料も必要だ。木のまわりの雑草を取り除いてやることも必要だ。私たちは親として、子供たちがいい木に育つように努力した。あとは、子供たちが立派な花を咲かせ、実をつけてくれることを祈るだけだ」と

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芝居もショーも生きもの。スタッフ全員の呼吸が合わなければ満足いただける劇場公演はできません

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歌手という“商売”柄、親の死に目に会えることはあるまいと、半分はあきらめていた私ですが、奇跡的といいますか、幸運にもというのでしょうか、七人兄弟全員の見守るなかで、母は安らかに息を引きとりました。子供としては、一日でも、一分でも一秒でも長生きしてほしかったのですが…

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井戸も最初は泥水、掘り続けりゃ清水が湧いてくる

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(北山たけしの)お芝居はちょっと心配なんだけど、心配なところが良いのではないかなと思います

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貧乏ではありましたけれども、明るい笑顔だけはふんだんにあった新婚時代でした

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一ヶ月という長丁場のコマ劇場公演。座長がスタッフの尊敬を受けずに、どうして“ファミリー”を語れるでしょうか

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人間、正しいことは誰でもいう。正しいことをいうやつよりも間違ったことを素直に認めて謝れるやつの方が勇気があると思う

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ちょっと弱気になるときがあるとしても、「俺はこの道を歩むために生まれてきたんだろ?」と心に問いかければ、自然に足は明日に向いてしまうんです

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昭和三十年から約六年間、渋谷での流しの生活が続くわけです。三曲歌って百円の稼ぎは、けっして楽じゃありません

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動くものに乗ると、(お客様は)歌なんか聴いてない

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(ステージセットも)カネがかかっています。毎日大勢の皆さまが来ていただけるから、豪華にできる。そして私たち全員がご飯を食べさせていただいている。改めて、ごちそうさまでした

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昨年、紅白からは卒業して線を引いた。それで今年いきなり出ていくことはできない。それをやったら、オレの生き方じゃない

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浮き沈みの節目、節目で、数えきれないほど多くの方々の「情け」、「恩」、「優しさ」を受け、そして「義理」の重さを感じてきました

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デビュー以来、星野哲郎先生=“哲さま”は師であり、年齢は違っても心開ける友でもありました

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昭和二十九年春。青雲の志を抱いて青函連絡船に乗ったあの日こそ、歌手北島三郎の「出発(たびだち)の日」であり、自分一人の力で働き食べていくことを決意した、いわば親鳥からの「巣立ちの日」だったのです

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(紅白卒業理由)若い人にバトンを渡そうと思った

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