荀子の名言格言50選

荀子(じゅんし)

中国戦国時代末の思想家・儒学者。紀元前4世紀末ごろに、趙に生まれる。『史記』によると、50歳で初めて斉に遊学した。 斉の襄王に仕え、斉が諸国から集めた学者たち(稷下の学士)の祭酒(学長職)に任ぜられる。稷下の学者の中では最年長で、三度列大夫の長官に任ぜられた。後に、讒言のため斉を去り、楚の宰相春申君に用いられて、蘭陵の令となり、任を辞した後もその地に滞まった。後漢の荀彧・荀攸はその末裔と言う。正しい礼を身に着けることを徹底した「性悪説」で知られる。

荀子の名言格言

教え、之をして然(シカ)らしむるなり

自ら知る者は人を怨まず

義を先にして利を後にする者は栄え、利を先にして義を後にする者は辱(はずか)しめらる

人を相するは、古(いにしえ)の人有ること無きなり、学ぶ者は道(い)わざるなり

上学は神で聴き、中学は心で聴き、下学は耳で聴く

青は藍より出でて藍より青し

流言は智者に止まる

人の本性は不定なり。一つの所を渦まく水のごとし。東の方へ切り開けば水は東方に流れ、西方に切り開けば西方に流る

蓬(ヨモギ)、麻中(マチュウ)に生ずれば、扶(タス)けざるも直(ナオ)し

人の本性は、その本性に従えば譲らず、譲れば本性に逆らう。それゆえ、人の本性が悪になることは明白であり、善は後天的な仕業なり

是を是とし非を非とするは、之を智と謂い、是を非とし非を是とするは、之を愚と謂う

治人有れども、治法無し

公(こう)は明(めい)を生ず、偏りは闇を生ず

素晴らしい人間性というのは、その人間が後天的に、努力によって身に付けていくものである

人の性は悪にして、その善なるは偽なり

人心は譬えば、槃水の如し

青は之を藍より取りて、藍よりも青く、氷は水之を為して、水よりも寒(つめた)し

学は以って已むべからず。青は之を藍より取りて、藍より青し

?(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、何も無きなり。猶お?せずして雨ふるがごときなり

道は近しといえども、行かざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず

およそ人の患(ワズラ)いは、一曲に蔽われて大理に闇(クラ)きに在り

自分ひとりの時間に何をしているか、自分だけが知っている。その一人のときにどんな思いを持っているか、それがその人の運命を決めていく

千歳を観んと欲すれば則ち今日を審らかにせよ

知らざれば則ち問い、能わざれば則ち学び、能ありと雖も必ず譲り、然る後に徳ありとなす

名を盗むは、貨を盗むに如かず

その子を知らざれば、その友を視みよ。その君を知らざれば、その左右を視よ

其の固塞は険に、形勢は便に、山林・川谷は美に、天材の利は多し、是れ形勝なり

聞きかざるは之これを聞きくに若しかず。之これを聞きくは之これを見みるに若しかず。之これを見みるは之これを知しるに若しかず。之これを知しるは之これを行おこなうに若しかず。学がくは之これを行おこなうに至いたりて止やむ

事は悔い無きに至りて止み、成は必すべからず

信を信ずるは、信なり。疑を疑うも、また信なり

人の生や群すること無き能わず、群して分無ければ則ち争い、争えば則ち乱れ、乱るれば則ち窮す

是是非非(ぜぜひひ)

我に諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり

君子は物を役(えき)し、小人は物に役せらる

疑を以て疑を決すれば、決必ず当たらず

君子は居必らず郷(きょう)を択び、遊ぶに必ず士に就く

我を非として当たる者は吾(わ)が師なり。我を是として当たる者は吾が友なり

迷う者は路を問はず、溺るる者は遂を問はず、亡人は獨を好む

死を軽んじて暴なるは、これ小人の勇なり。死を重んじ、義を持たしてたゆまざるは、これ君子の勇なり

富を欲するか、恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて義に背け

吾の短なる所を用いて、人の長ぜる所に遇(あた)ること無かれ

学問は飛耳長目の道 

勝に急にして敗を忘るるなかれ

終身の楽しみありて一日の憂いなし

故(なに)か蔽(へい)を為す。欲蔽を為し、悪(お)蔽を為し、始蔽を為し、終蔽を為し、遠蔽を為し、近蔽を為し、博蔽を為し、浅蔽を為し、古蔽を為し、今蔽を為す

小人の学は耳より入りて口より出ず

庶人なる者は水なり、水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す

古(いにしえ)は刑罪に過ぎず、爵徳に踰(こ)えず、故に其の父を殺して其の子を臣とし、其の兄を殺して其の弟を臣とす

原、清ければ則ち流れ清く、原、濁れば則ち流れ濁る

道に従いて君に從わず、義に従いて父に従わざるは、人の大行なり