近藤勇(こんどう いさみ)
職業:武士 誕生:1834年11月9日 死没:1868年5月17日 出身:武蔵国多摩郡上石原村(東京都調布市)
新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。
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近藤勇の名言格言
忘れてはならぬものは恩義
下拙刀(げせつとう)は虎徹ゆえにや無事にござ候
聞いてならぬものは人の秘密
捨ててならぬものは義理
源将の木人形を摩?(ましゃ)し 自ら盛功を説く爾(なんじ)は我が儔(とも)なり なほ一般の優劣の処あり 鉞矛をもって他日明州を凌(しの)がん
人にあたえるものは人情
孤軍たすけ絶えて俘囚(ふしゅう)となる 顧みて君恩(くんおん)をおもえば 涙更に流る 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所 快く受けん電光三尺の剣 只将(ただまさ) に一死君恩に報いん
富貴利名豈に羨むべき 悠悠として官路の浮沈に仕ふ 此の身に更に苦有りて辛在らんと 飽食暖衣は我が心にあらず
手向かいいたすにおいては、容赦なく斬り捨てる
孤軍援け絶え囚俘となる 顧みて君恩を念(おも)へば涙さらに流る 一片の丹衷よく節に殉ず 雎陽(すいよう)千古これ吾が儔(とも)なり
俺は武士よりも武士らしい武士になる
恩を負ひ義を守らん皇州士 一志を手に伝へ洛陽に入る 昼夜の兵談何事かなさん 攘夷誰と斗(はか)らん布衣郎
生きようという念が一分でもあっては、どうにもなりませんな。不思議なもので、死ぬ気になると、周りの景色、つまり敵の群れのことですが、その虚が見えてきます。その虚へ突っ込むのです。なんのかんの言っても、その一言ですな
只まさに一死をもって君恩に報いん
通してならぬものは我意
お金で買えぬものは信用
丈夫志を立て東関を出づ 宿願成らずんばまた還らず 国に報い忠を尽さん三尺剣 十年磨きて腰間にあり
繰返してならぬものは過失
ながなが御厄介に相成った
笑ってならぬものは人の失敗
英雄ではない者が真の英雄である
曾て聞く蛮貊五臣を称すと 今見る虎狼我が津(みなと)を候(うかが)ふと 回(かへ)りて復た誰か神后の趾を尋ねん 来りて慎むを向かへ和親を用うなかれ
百行の依る所は孝と忠なり 之を取りて失無ければ果して英雄 英雄はたとへ吾曹の事にあらずとも 赤心をもって羌戎を攘んと欲す
井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る