長渕剛の名言格言90選

長渕剛(ながぶちつよし)

日本のシンガーソングライター、俳優。多数のヒット曲を持ち、『親子ゲーム』、『とんぼ』、『しゃぼん玉』などのドラマや映画に出演。現在までに、ソロアーティストとしてアルバム初登場一位獲得数12作品、トータル売り上げ2000万枚を突破し、日本を代表するシンガーソングライターの一人である。

長渕剛の名言格言

つまんねぇ唄が流行ってるってことは俺たちのレベルが低いっつーことだしよ。だからお互いがんばってあげようよ!いや。本当だぞ!俺は本当にでやってんだから!ま、これ以上言うと、アイツもおっさんになったなって言われるから

人間の『生き死に』さえも銭に換えるこの国だから、ありったけの命をたたいて今、叫ぶのだ

巨大なエネルギーっていうのは一夜にできたものではありませんね。僕とファンがずっと長い歴史をつむいでつくってきたものなんですね。それは、高みを目指して挑戦し続ける、一途の道を追求しつづけるという、あくなき表現者として完璧を目指すという強烈な欲求でもある

長渕剛って男は、特定のカテゴリーの中には決して収まらない男だから。テレビの世界にいったらテレビ画面からはみ出し、映画の世界にいけばスクリーンからはみ出てくる男だから

俺はずっと一人で叫び続けてきたわけ。でもさすがに一人だと声も涸れて出なくなるぜ。一緒に走る仲間が心から欲しいんだ。弱虫でセンチメンタルな部分っていうのは俺の中にたくさんある

オレの場合、肉体改造と音楽は直結している。その時その時の人生をなすりつけたのが、オレの音楽だ

強さと優しさを教えてくれた、宮畑会長という生涯頭が上がらない大きな男と出会えたことは、オレの人生にとってとてつもなく大きな財産だ

バンドというのはバンドじゃなきゃいけないんです。同じベクトルを向いていなければならない。一喜一憂を紡ぐために仲間が集まるわけです

時代の流れに乗っかって消えていく歌の組に入るのか、それとも自分の名前はいずれ風化されようとも、歌だけは残りたい組に入るのか、その勝負をしなきゃ!!生まれてきた意味がないだろ

今、残っていただいている、好きになっていただいている仲間というのは、「そうだ」と思ってくれている連中だと思ってます。だからこそ、「そうじゃないんじゃないか」と問いかける自分と「そうだろ」と同調する自分を常に持っていなければいけません。「これなのだ」と言い放った瞬間には「そうじゃない」という歌を作っていかなければならない責任があります。そのレスポンスを表現として、生涯貫いて生きていきたいんです

ガキの頃の純粋さや一途さ、そういったものを持ち続けることの大切さを再確認したんだ

俺は元来、貧乏性っていうのかな。手ぬけないタイプだろ? もう一生懸命やっちゃうのよね。回り見てみな、手抜きばっかりだろ

ジムには、ホンモノがうようよいる。ホンモノのなかに歌手一匹。周囲が100kg以上のバーベルを当たり前のように持ち挙げるなかで、ギターより重いものを持ったことがなかったオレは、5kgのダンベルからスタートだ。恥ずかしかった。その後も10kgや15kgを必死に持ち挙げたが、誰も口をきいてくれない。クソッ!今に見てろよ

今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです

トレーニングでは、強さだけではなく、優しさも育つ。ホンモノのアスリートを目指すには、自分の力だけではレベルアップはできない

僕の人生というものは、周りの大人たちとの関係で作られてきたものです。そのなかで、時代の風というものがあり、ある時は僕がヒーローとして扱われたり、逆にある時は悪いヤツとして扱われたり。芸能界の暗黙ルールというものの中で、思いっきり悪の底に突き落とされたこともありました。そういうことをたびたび経験してきて、それでも腐らず今こうして凛としていられるのは、僕に大切な仲間がいたからです

もちろん死に様というのも考えます。みんな笑うかもしれないけど、僕の死の理想は、死ぬ寸前で骨と皮だけになった状態で、ギターを持って2曲歌いたい。ひとつは、死ぬまで自分が愛してやまなかった女性に対する曲。もうひとつは、僕を傷つけてきた憎い奴らに対する曲。この2曲を「究極のラブソング」として、僕が大好きで敬愛している日本という国の、1年の最大の祭典である「紅白歌合戦」で、病院からの中継で歌って、全てのエネルギーをそこで使い果たして、そのまま死んでしまいたい

基本的に僕らの歌は大衆の中に流れていってるものですから、自分も大衆の中の一人としてどうなんだということを客観視しないと、ついつい自分は凄いことやってると思いがちなんですね

仲間とか、一緒に上り詰める人とは本気が大事じゃない。本気の先には、狂気があるんですね。そこを今度は超えると殺気がある。本気、狂気、殺気を超えて、最後には覚悟がある

どちらかというと俺は親父にもお袋にも優しくしてこなかったかなって思ってたんで、せめて親父には何かしてあげたかったんですよ

わざわざ難儀な思いをして、髪をかきむしりながら、言葉を書いて、それに曲を付けて、そうまでする理由っていったいなんだ? それは、どうしても伝えたいことがあるからだろう

今、何をしていようと、それに夢中になればチャンスはいくらでもある

日誌を書くと、その日の自分のほんの小さな弱さを見逃さずに済む。反省もする。取り戻そうとする。自分のケツは自分で拭いてケジメつけて生きていくという当たり前の覚悟が宿る

人の前でパフォーマンスをやる人間にとってデブは敗北。肥満を年齢のせいにするパフォーマーは人前に出るな

自分もかつては歌番組やドラマに出させてもらって、テレビの裏側をたくさん見てきたけど、いまのテレビは「枠」に収めることばかり考えて番組を作っている。「映っちゃいけないものを見切れさせるな!」「台本に書いていないことは話すな!」「スポンサーの意向にそぐわない発言はするな!」って、制約の枠だらけ

40年近く前に歌の世界に入って、これまでに400曲くらい書いてきました。歌の世界で生きてきた自分が、歌の世界で死んでいくんだな、ということをそろそろ意識する年齢になってきました。そう考えた時、歌う、ギターを弾く、テレビで語る、ラジオで語る、絵を描く、そういった今まで自分が体験してきたことを表現する全ての引き出しを、全部出そうと思ったんです。オールナイト・ライヴもその一つで、体力的には、もう最後ですから、それも含めて全部やろうと思っています

オレの作品は、いつも自分へ向けての音楽。何よりもまず自分を奮い立たせるために作り、歌う。『TRY AGAIN』もそう。しのぎを削りながら頑張ってきて、のし上がって、でもくじけて。後悔して、また自らを奮い立たせる。それをありのまま歌う。自分が倒れた時に立ち上がるための音楽を、オレはやる

吉本の芸人さん気質は、下積みの悔しさみたいなものが根底にあるから、みんな必死だよな!その必死さが伝わってくるから、『おもしれえ、勝負だ!!』ってなる。『てめえ、殺すぞ!』って気持ちで俺も食らいつかなきゃ、番組がつまらないだろ

しのぎを削りながら頑張ってきて、のし上がって、でもくじけて。後悔して、また自らを奮い立たせる。それをありのまま歌う。自分が倒れた時に立ち上がるための音楽を、オレはやる