三國連太郎(みくにれんたろう)
日本の俳優、映画監督。息子は佐藤浩市。個性派俳優として日本映画界を牽引し、圧倒的存在感をスクリーンに残した日本を代表する名優の1人。その徹底的な役作りは真骨頂と評され、エピソードも残している。オールスターの超大作に相応しい映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演もした。
三國連太郎の名言格言
役者というのは、挑戦する以外にない
僕も不器用なんだよ、不器用な方がいいんだ
過ぎた日は再び迎えられない。演技もまったく同じである
私は、どの作品がというより、本当に監督に恵まれたと思っています
憎まれようと自分に忠実であればいい
このセリフを言うために私は今まで出演したのだ
人は一人では生きられない。だからこそ、人とのかかわりに人生は大きく左右されます
(近頃の俳優は)『調和』であるとか『人間を表現する』ということ、これが遅れているんですよ
私はまだ自分の歩く道を確かめている段階なので、今も生きているんでしょう。その時々の自分が出来る役目を探して、求めているんですね
僕は臆病者ですから、(太地喜和子に)のめり込む危険を絶対に避けたかったんです
芸を極めたなんて、とんでもない。まだまだこれから少しずつ階段を上って行かなくては
自分という容器の中で、自分の体や感情の中にある役柄との共通点を取り出して、そこを原点に精一杯演じていく。その方法しかないと思っています
(これからやってみたい役柄というのはありますか?)『ラブシーン!』と応えたらいいのかな?(笑)もちろん、そういうのも四六時中求めているよ(笑)
人々の生活の糧になるような映画に出たい
今までで、惹かれた女優さんは一人だけです。太地喜和子さんだけです。ぼくは、男に影響を与える女の人が好きです
(演技は)再現できない。運命的な『物』である
俳優とは、自分の生き様に並行し、一緒に歩いているもの。そうでないと演じきれない
ヤクザの親分とかいうのは嫌いですから、依頼があっても断ると思いますしね
コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した
一人で考え、一人で行動する
名匠たちと仕事をしてきて後悔したことは一度もありません
、『それ(本物の大衆演劇)ができないか?』と思って出演しているのが『釣りバカ日誌』のシリーズなんですけども。寛美さんに少しでも近づこうと思って
自己主義には限界があるんですね。お芝居はチームワークなんですから
戒名もいらない。散骨して誰にも知らせるな。三國連太郎のままでいく
イメージに固定されてしまうのは、役者の堕落
私はメロドラマだけは出なかった。虚構ですから
役者業は、趣味と実益を一緒にしてしまった素敵な世界
関係がダメになった監督もいますけれども、それはもう夫婦の離婚みたいなものでね。まあ、しょうがない(笑)
戦争で中国から引き上げてきた時に木下恵介さんと偶然出会った。あの出会いがなければ、今の私はないと思います
ついに終末の刻に逐い詰められたようだ どう闘って生きるか?
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