織田裕二(おだ ゆうじ)
日本の俳優、歌手。1991年、フジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』の永尾完治(カンチ)役で大ブレイク。『踊る大捜査線』シリーズが人気を博し、自身の代表作となった。『世界陸上』のメインキャスターを、1997年のアテネ大会から担当。
織田裕二の名言格言
ポジティブをチョイスして生きようぜ。困難に対しても、堂々と向き合うほうが絶対にいい結果を得られるんじゃないかな。
毎日の一瞬一瞬が特別だし、それに加えて、やりたいことがある人生だったら大ラッキー! たとえ今まで見つからなかったとしても、思いついたら40代でも50代でも、何歳からでもそこに向かっていけばいいと思うんですよ。
やっぱり、たった1度の人生だからさ。悔いなく過ごしたいよなあ。
時間は無限にあるわけじゃないからね。やりたいことがあったら、遠慮してないで自分からトライしたほうがいい。
一生懸命にやった結果、失敗したのなら、それ以上やりようはないんだから、一杯飲んでパッと忘れて、「よし頑張ろう」って切り替えられますね。
後悔した経験? 若いときにゲームに夢中になったことかな。3日間プレーし続けて、貴重な休みがそれだけで終わったんです(笑)。
何をしたいかを一所懸命固めなきゃ駄目だ。人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ。
自分は今これで幸せだと言えることが、「悔いのない」人生じゃないですか。そのためには、まずやりたいことに向かって突き進めばいいと思う。
仕事は絶対に投げないことが大事。与えられた仕事を全力でこなして、相手の期待以上に仕上げてみせたら、受け取る側も「すげぇな、コイツにもう少し任せてみようかな」って気持ちになるはず。その繰り返しでステップアップしていける。
元気でいようと意識的に心がけています。それは自分が元々ネガティブなので、常に前向きでいようと。意識しないと、悩み始めたらどこまでもズルズル、ドロドロ考えかねないから(笑)。
年を取って、経験を積まないと表現できない世界。そこに対する憧れが強くて、早く40代になりたかった。ようやく40代を迎えて、いまは仕事の幅が若い頃より広がって演じやすくなりました。
海外の役者と仕事をすると、すごくわかりやすいですよ。彼らは「私はこれがやりたい」って積極的にアピールしてくるからね。年齢やキャリアとか関係ない。むしろ現場で「あなたはこれがやりたいのね。僕はこれがやりたい。じゃあ、こうしようよ」って、話が早いもん。僕なんかやってて楽ですよ。日本だと、自分の主張をせずに、みんなが遠慮し合う空気があるじゃないですか。でも、表現者としては、そんな時間はもったいないよ。やりたいことがあるなら、ズバリと言うべき。そのほうが、気持ちよく仕事ができますよ。
子供の時は、すぐに悩んだり、考え込んだりしていた。ネガティブとは違うけど、「どうして、学校の指定の道具を皆が使うのかな」とか、先生の言っていることが理不尽だなと思っていた。仕事をするようになって段々、それを封印しましたね。悩むより、まず一生懸命やろうって。
目標がかなえば素晴らしいし、別にやりたいことが変わってもOK。人生はこうでなければいけないなんて形はないんだから。あのゴールを目指して進んでいたけど、こっちの道のほうが面白そうだなって感じたのなら、そっちに進めばいいんですよ。
どれだけちゃんとした30代を送ったかによって、いい40代につながる。とくに30代後半からは40代への完全な助走。僕の場合、仕事に夢中だったので、すごく早く過ぎていきましたね。
行った先の国によっては驚かされることがたくさんあります。日本ではあたりまえと思うことも、外に出ればあたりまえとは限らない。全然ルールが違う国もある。正しいことはひとつじゃない。
結果的に、「一生懸命」は道を開く。
自分の目や心でちゃんと見ることや、感じることが大事。そのとき得たものは自信をもって言えることが大きい。
文字だけで話を読んで、そこからこうだと考えても、ひとつ違うことがあれば崩されてしまう。でも、自分で見たものは、誰がなんと言おうと、実際に見た通りなんですよ。その経験をいくつも積み重ねるうちに、物事を自分なりの視野で見られるようになります。
誰かがミスをして、その代わりに自分に大事な仕事が回ってきたとする。それ自体は、「タナボタ」でしかないけれど、どうせ「誰かの代役」と思うか、「チャンス」ととらえるかで結果も変わってくる。