マイケル・フェルプス(Michael Fred Phelps)
職業:競泳選手 誕生:1985年6月30日 出身:アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモア
2013年7月時点、100mバタフライ、400m個人メドレーの世界記録保持者であり、“水の超人”イアン・ソープ(オーストラリア)に代わり、世界の頂点に昇りつめた「水の怪物」。自由形でも世界トップレベルの実力を誇り、一大会で複数の種目を制する体力を活かして、オリンピックメダル獲得数史上1位の記録も打ち立てた。主種目としたバタフライをはじめ、さまざまな種目で頭角を現したことから史上最強のスイマーとの呼び声も高い。
Sponsored Link
マイケル・フェルプスの名言格言
水から出る時に『やるべきことは全て達成した』、そう言って終わりたいんだ
そのときが来たら、速く泳げることを確信していた
自分は金メダルにふさわしくなかった
ずっと目標にしてきたことを達成して、その後、どうしたらいいのか分からなくなっていた
どんなことにも、限界を定めることなんてできません。夢見れば夢見るほど、得るものがあるでしょう
夢が叶った。完璧な終わり方だった
みんなプールの中で放尿してる。水泳選手にとってはノーマルなこと。2時間もプールにいて、するために、わざわざ出たりしない
北京五輪からの2年半くらいはただ泳いでいただけで、全然楽しくなかった。速く泳ぐことも、いい感じで泳ぐこともできなかったし
家族の誇りであり続けなければならないプレッシャーや相談する相手もいなかった。またお金目当てで近づいてくる人たちに疲れてアルコール依存に陥った
どこかの時点で自己ベストを出したい。そうなれば最高だ。2009年からなかなかベストが出ていないから、来年ベストを出したいな
ゴールまで25メートルのあたりから、もう笑みがこぼれ始めていた
(北京五輪の競技3日目の4×100mフリーリレーについて)今までの水泳人生で、最高のレースの一つだよ
何度も何度もレースに出る中で、ここまで良い感覚だったのは2008年以来だと思う
確かに、あの時はきつかったけど、自分にとって正しいことをやっていたと思うんだ。自分のキャリアを考え直すためにも必要な時間だった。我慢の時期だったんだと思う
最も重要なのは、誰かに君はダメだと言われた時、一心にやればすべて実現可能だということ
(北京五輪について)すべてがパーフェクトだった
私の成功は並大抵のものではありません。目標を設定し、到達できると信じてきたし、たどり着くまで諦める事もなかった
素晴らしい土台になると思う。五輪に向けての準備段階で、長らく戻ってこなかった感覚だ
いい感じで100Mをフィニッシュしました。フリースタイルのストロークはまだ納得いくものではなく、不満が残ります。前半は全くよくなかったですが、まだ私は死んでいません。最後の10Mはとてもよかったと思います
やっぱりもう一度、五輪に行きたい。本当は北京が終わった瞬間から、ロンドン五輪への出場を願っていた。泳ぐのが楽しいと感じ始めたのは1年くらい前からかな。水泳への情熱と愛情が戻ってきたんだ
若い時のように簡単にリカバリーできない
(「サタデー・ナイト・ライブ」出演にあたり)オリンピックのときよりも緊張してる!でも、ボクは友だちの間では結構シニカルなユーモアがあるヤツとして名が通っているんだよ
ロンドンまで4年間泳ぎ続けても、北京以上の感動を味わうことは絶対にないと思った。だったら水泳以外に情熱を注げる何かを見つける方がいいんじゃないかと考えたんだ