ヨハン・クライフ(Johan Cruijff)
職業:サッカー選手、サッカー指導者 誕生:1947年4月25日 死没:2016年3月24日 出身:オランダ
オランダ出身のサッカー選手、サッカー指導者である。選手時代のポジションはフォワード、攻撃的MF。選手時代に在籍したアヤックスではUEFAチャンピオンズカップ3連覇、オランダ代表ではFIFAワールドカップ準優勝に導いた実績などからバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度受賞した。ペレやマラドーナと並ぶ20世紀を代表する選手と評されている。引退後は指導者に転身し古巣のアヤックスや、FCバルセロナの監督を務めると、バルセロナではリーガ・エスパニョーラ4連覇やUEFAチャンピオンズカップ優勝などの実績を残し監督としても成功を収めた。
Sponsored Link
ヨハン・クライフの名言格言
見えるようになるのは、わかってからだ
(グアルディオラについて)彼は物凄く進化させた。だが私が彼を心から評価しているのは、彼が他の誰よりも早くものごとを理解することだ。あるいは誰も見ないものを彼が見るからだ
教育する側が個性に気づいてやること、それが肝心なんだ
フットボールはとてもシンプルなものである。しかし、最も難しいのはシンプルにプレーすることである
(インザーギについて)彼はサッカーをまったくしていない。 ただ、常に的を射た場所にいるだけだ
9番はディ・ステファノ、10番はペレ。私がそんな番号を付けたら紛らわしい
スポーツには、人々が自分自身について思い描いているヴィジョンや、自分を表現する方法を急速に変える力がある。他のどんな人間活動よりも速いスピードで、スポーツは人々の生き方全体を変えられる
とにかくサッカーのいいプレーヤーになるためには『ワーク(練習)、ワーク、ワーク』です。毎日練習すれば、毎日、あなたは何かを学ぶことができるはずです
美しく勝利せよ!
現在、フットボールは進化した。私がプレーしていた当時と比べて、ディフェンスは随分変わってきている。相手に適応し、組織化されてきているんだ
選手たちの心理にまったく疎いわけではない。負けた試合の後、終わったことに対してくどくど言っても無駄なのはよく承知していた。だからそんな時は試合については一言も話さず、選手たちはそっとしておいた
私は間違ったことがない、間違うことは私にとって難しいからだ
「あなたは年寄りだから、ダメだ」と言われると、私はこう答える。「それを決めるのは、あなたじゃなくて、私だ。」
すべての短所に長所がある
フットボールの試合は、まず観客を楽しませなければならない
11人より10人のほうが上手く回る。サボる奴がいなくなるから
守り切って勝つより、攻め切って負ける方が良い
フットボールにおいて、話すことは、最も大切な要素のひとつである
いったい誰が俺にサッカーを教えられるんだ?
私はフットボールを始めて以来、多くの選手を見てきたが、みんな私より下手だった
レアル・マドリーが非常に強いチームであることに疑いの余地はない。ただ、彼らにとって唯一の悲劇は、バルセロナと同じリーグにいることだ
ボールを取られるのは、実は、戦術的洞察が足りないからなんだよ
才能ある若手にこそ、挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる、最大の良薬だからである
サッカーは美しくなければならない。美しいというのは攻撃的でテクニックに優れ、3、4点とゴールが生まれ、見て楽しいサッカーだ
イングランドのフットボールは見ている分には最も面白い。選手が危険を冒し、たくさんミスをするからだ
蹴るポイントが1cmズレたらボールは自分の狙ったところに飛ばない
まずボールコントロール。それが全ての基礎だ。ボールをコントロールできないならボールを追いかけて走る事になる。それはサッカーじゃない。別のスポーツだ
本当に素晴らしいフットボールは、国境を越え、自分の属する国籍までも忘れさせ、人々を熱狂させることだ
理想のフットボールとは、常に勝ち続けること。スペクタクルでファンタスティックなプレーで
アヤックスとはサグラダ・ファミリアのようなもの。どちらも一日でできあがったわけではない
美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え
私は日頃から、他人にしたことは、いつか自分に返ってくると思っている
モウリーニョは数々のタイトルを獲ってきたが、タイトルを獲得することと世界中から賞賛されるプレーをするということは全く違うものだ。私はタイトル獲得よりも大切なものを実現してきた
ボールは友人であるという事だ。ボールが望むようにプレーする。友人でなければ、ボールはどこかへ行ってしまうからね
才能を育てる監督よりもつぶしてしまう監督のほうが多いものだ。だから監督に目をつけられたからといって、よい結果につながるとはかぎらない
ロッベンは漆黒の闇に現れた、希望の光だ
モウリーニョは勝利という強迫観念に囚われている
ボールを動かせ、ボールは疲れない
月並みなやり方をするくらいなら、自分のアイディアと心中した方がマシだ
ボールに触れることで、試合に参加していると感じられるし、楽しさを覚えられる。それはユースだろうが、アマチュアだろうが、プロだろうが変わらない。普遍的なことなのだ
敗因は、ドイツ人の凄まじい闘争心に対抗できなかった。・・・私にとっても長いサッカー人生の中で一番ダメージを受けた出来事かもしれない
ビデオの再生くらいはできるさ。でも、録画は…できないんだ
自分が走る必要は無い、ボールを走らせるんだ
ボールを持てば私が主役だ。決定するのは私で、創造するのも私だ
オランダ人はイタリアのサッカーなんてまったく見ないんだ。その瞬間、テレビを消してしまう。少し大袈裟に言ってしまったけれど、ともかくオランダの場合は、ファンが攻撃サッカーを求めている。鋭角に折り返すサイド攻撃をね。メンタリティがイタリア人とは違うんだ
仮にプレーする地域の横幅が50mあったとすれば、私たちのチームでは左のウイングが15m、右のウイングが15m、そして真ん中で私が15mくらいしか動く必要がありませんでした。今のFWは私よりもずっと走っていますね
現代のサッカーは楽しさが欠けている。子供の頃から走ること、戦うこと、結果を求めることばかりを追求し、基本的な技術すら身につけないことは馬鹿げている
ポジショニングが正しければ半分は勝ったも同然
サッカーでは100mより30mから40mをはやく走ることが重要。だがもっと重要なのは”いつ”走るかだ
私はボールを受けたとき、常に3つはパスコースを持っていた
能力のないプレーヤーほど、他人のミスを責めたがる
攻撃しない、美しくないサッカーにいったい何の価値があるのだろう
サッカーとは頭で考えるスポーツである
バルサがボールをキープしている限り、相手は攻めることができないし点も取れない。しかし、バルサはできる
バルセロナは素晴らしいチームだった。最高の選手たちと巡り合えたと思っている。自分の求める理想のサッカーができた。この喜びは私にしかわからないだろう。選手たちはみな、とてもいいやつらだった
この試合だけでシーズンのタイトルが決まるわけではない。だが、今後何十年と語り継がれる試合になるかもしれない。それがクラシコだ
フットボールは勝つだけのものではないからだ。ファンにために、若者たちの教育のためにも、さらに振る舞いや話し方、フットボールの全てが子供たちの教育になる
私が来る前はクラブの金庫はいつも空だったが、私が出ていく頃には金庫はイッパイだった
私が思い出すのは、自分が一番優れていたことだけだ
勝利に必要なら、私は親の仇でも使う
プレッシングは優れたテクニックの前では無力だ
いくら技術に優れたスーパースターでも、その上には、勝者が、チャンピオンがいるものだ
戦術とは、洞察力と信頼と勇気だ
目先の事だけではなく、もっと長期的に考えなければならない。自分の責任は勝つ事だが、クラブは生き続けていかなければならないんだ
よほどの脳無しでないかぎりFWの走る距離は15Mで十分だ
良い監督は、あるプレーヤーの短所を、別のプレーヤーの長所でカモフラージュする
ダメな奴らが走るんだ。相手をもっと走らせろ!