目次
中田浩二(なかた こうじ)
元プロサッカー選手、そして現在はサッカー界で多岐にわたる活動を展開する中田浩二氏。現役時代には、その卓越したプレーで多くのファンを魅了しました。引退後も、彼はサッカー界の発展のために情熱を注ぎ続けています。本記事では、中田氏が語るサッカーの本質、ビジネスとしての側面、そして未来への展望など、示唆に富む言葉の数々をご紹介します。彼の経験に裏打ちされた言葉は、アスリートだけでなく、あらゆる分野で挑戦する人々の心に響くでしょう。
中田浩二の名言格言
1. 実力は想像以上
こっちに来て思ったのは、テレビで見ていたほどの差はないということ。
海外リーグを経験し、テレビで見たイメージとのギャップのなさを語る。
2. 知らなかった世界
興味はあっても、どうしたらいいかわからないという選手が多いと思います。若くして手にしたお金を「何でも買ってしまえ」と使い、現役を終える頃に困ってしまう人もいれば、この低金利の時代に預金しているだけの人もいるのが現実です。その理由は、ただ“知らないから”。
選手がお金や将来への準備を知らずに困る現状に、無知が原因だと指摘。
3. 選手を支える人々
選手時代の僕は、とにかくサッカーをやっていればいい、試合でしっかりプレーして勝てばいいという考え方しかできなったんですよね。フロントの立場になってみて、いろいろな人に支えられてきたんだとすごく感じています。1つの試合を運営するにしても、選手は90分前にスタジアムに行ってアップをするけど、スタッフの皆さんは5時間以上前からいろいろな準備をしてくれています。そして、そこにはサポーターやパートナー企業の皆さんも関わっているのです。
現役時代は気付かなかった、運営を支えるスタッフや支援者の重要性を実感。
4. 未知の領域への探求
大学院での専攻は社会工学でした。たとえば、首都圏から鹿島の応援に来てくれたサポーターにとって問題となっている交通渋滞の解決法などを研究しました。今まで自分が全然知らなかった世界に飛び込んでみて、すごく充実して楽しかったです。
大学院で社会工学を学び、知らなかった分野に飛び込む充実感を語る。
5. サッカー界の進化
「選手視点」と「マーケティング視点」、その両方の知識があれば、日本のサッカーはもっと進化していく可能性があると思っています。そのためには、マーケティングだけではなく、解説者としてサッカー界の動きや言葉の表現方法などを知るのも勉強だと…
選手視点とマーケティング視点の両輪で、日本のサッカーをさらに進化させたい。
6. 投資への新しい視点
こんなに簡単に株が買えるんですね。少ない金額から始められるというのは、初心者にもやりやすいと思います。株って、最初からかなりの額の投資をして、必死にやらなくちゃいけないというイメージをつい持ちがちですけど。気軽に始められるのであれば、自分の中で助走を付けていくように、少しずつ投資のことを勉強しながら続けていくこともできそうです。
少額から始められる株式投資の気軽さを、初心者にも優しいと説明。
7. 経営でサッカーを支える
指導者ではなく、経営の立場からサッカーの価値を上げたい
指導者ではなく、経営の視点からサッカー界の価値向上を目指す。
8. 新たな鹿島創造
時代に即した新しい鹿島をつくりたい
時代に合わせた、新しいスタイルの鹿島アントラーズを築きたい。
9. 引退選手への道
引退した選手の新しい選択肢を示すことができた
引退した選手たちに、新たなキャリアの選択肢を示せたことへの自負。
10. ゴールへの直結性
海外のほうがより直線的というか、ゴールに向かうプレーのほうが多い。日本はやっぱりまだまだポゼッションというか、それも大事なことだと思うんですけど、サッカーはゴールを奪い合う競技なので。見ている人もそういうシーンが多いほど、面白いと感じるはず。そういうシーンをもっともっとJリーグでも日本の選手が出していってほしいなと思います。
ゴールに向かうプレーが多い海外サッカーの魅力を、Jリーグにも求める。
11. 文化の継承
100年続いているということは、親子3代、4代でそのチームを応援しているということだから、子どものときから刷り込まれているんだろうなっていうのは当然ありますね。日本もそういうふうになっていかなくちゃいけないし、親子2代、3代で応援する文化ができていくと、より熱は上がっていくと思います。それは積み重ねですね。
親子3代で応援するような、熱量の高い文化の醸成を日本にも期待。
12. 記憶に残る瞬間
ワールドカップで初めて勝ったロシア戦は、代表であれば自分の中で一番印象にありますね。クラブで言えば3連覇したとき。2009年の最後に埼スタでやったゲーム(浦和レッズ戦)はすごく印象的です。
ワールドカップ初勝利やクラブの3連覇など、自身の記憶に残る試合。
13. 鹿島への揺るぎない愛
鹿島は僕のすべて、ここで現役を終えることを選んだ
自身の全てである鹿島で現役生活を終えることを自ら選んだ。
14. 決断の背景
チームと11月から色々と話していて、出場機会がない中で世代交代が進んでいて、僕がいすわっていたら…という思いもありました。チームがいい状況の中で練習しているのも厳しかった。移籍という選択肢も話してきて、(小笠原)満男やソガ(曽ヶ端準)には怒られましたが、相談したかったけれどチームの大事な時でしたし、最終的にはチームメイトには誰にも相談せずに引退を決めました。小沼先生(帝京高時代のサッカー部監督)には言葉をいただき、引退ということになりました
チームへの配慮から、誰にも相談せず引退を決意した苦渋の決断。