多治見麻子の名言格言15選

多治見麻子(たじま あさこ)

バレーボール日本代表として、そして指導者として、数々のドラマを生み出してきた多治見麻子さん。困難に立ち向かい、成長を遂げた経験や、スポーツが人生に与える深い影響について語る言葉には、多くの人が勇気づけられます。妥協なき姿勢と、未来を見据える情熱に満ちた名言の数々を、ぜひご覧ください。

多治見麻子の名言格言

1. 逆境が人を成長させる

困難を乗り越えることで、人は変われる。

困難な状況こそが、人間を大きく成長させる糧となるという洞察です。

2. 現役時代の自己分析

引退するまで自分に満足できなかった。

現役時代、常に自分自身に満足せず、向上心を持ち続けた姿勢がうかがえます。

3. 目標設定の羅針盤

最終的にどうなりたいか、指針となる目標設定が重要。

人生の航海において、明確な目標設定がいかに羅針盤として重要かを示唆します。

4. スポーツ人生への感謝

スポーツを通して人生を凝縮して経験させてもらった。

スポーツという舞台で、人生のあらゆる経験を凝縮して学べたことへの感謝。

5. 勝利至上主義の重圧

『二位は最下位と同じ』というプレッシャーの中で、高い目標に向かって頑張っていく難しさ、また上手くいかないことの方が圧倒的に多いなかで諦めずに戦うこと、チャレンジしなければならないことを高校時代に学ばせてもらったと思っています。

「二位は最下位」という厳しいプレッシャーの中で、挑戦し続けることの困難さ。

6. バレーボール人生の集約

人生ってすごく長いじゃないですか。その中でいいこともあれば悪いこともある。喜び、挫折、感動とすごくたくさんの経験を、私はバレーボールというスポーツを通して、ぎゅっと凝縮して経験させてもらったと思っています。バレーボールはチームスポーツなので、人との関わり方、自分の表現の仕方など、社会で必要な素養を学ばせてもらいました。それが確実に今に生きていると思います。

バレーボールを通じて、人生の喜びや挫折、人との関わり方を凝縮して学んだ。

7. 指導者の熱意の伝達

色んな監督さん、指導者がいて、さまざまなアプローチがあると思います。でも、一番はその指導者がどれだけ熱意をもっているかだと思います。私も伝え方が上手な方ではないのですが、指導者が一生懸命取り組んでいれば、選手はついてきてくれます。選手は指導者が思っている以上に、指導者を見ています。そのことを伝えたいですね。

指導者の熱意こそが、選手たちの心を動かし、信頼を得る鍵であるという指摘。

8. 選手主体の目標設定

長く現役を続けてきて一番に思うのが、本人が最終的にどうなりたいか、なのだと思います。それは人に言われるものでなく、自らが定める目標を見つけること。そこに行くまでの道筋を我々指導者がサポートしてあげることが大事なんだと思います。

選手自身が「どうなりたいか」という内発的な目標を見つけることの重要性。

9. 恩師との出会い

本当にまだできるんだろうか?と半信半疑でした。でも、ほかの選手は複数のオファーの中から行きたいチームを選んでいた人もいたけれど、私に声をかけてくれたのはセリンジャーさんだけ。パイオニアに行くか、引退するかの二択で、私はバレーを続けることを選びました。

現役続行か引退かの岐路で、恩師の声が選択の決め手となったエピソード。

10. 恩師への感謝

セリンジャーさんとの出会いがなかったら、もっとずっと早くに引退していたでしょうね。

恩師との出会いがなければ、自身のバレーボール人生はもっと早く終わっていた。

11. 稀有なオリンピック復帰

2大会置いて、またオリンピックに出られるなんて、なかなかないですよね。

長期にわたる選手生活で、再びオリンピックの舞台に立てたことの異例さ。

12. 現場志向の姿勢

事務所にいるよりは現場に帯同していきたい。

事務所での仕事よりも、選手と共に現場にいたいという現場主義の姿勢。

13. チームスポーツの魅力

バレーボールは対戦相手がいるチームスポーツ。自分のプレーだけでなく、相手との駆け引きにも楽しさがある。得点に結びつかないプレーが、チーム全体をよくする面白さもあることも知ってほしい。

バレーボールの奥深さ、得点に繋がらないプレーの重要性も知ってほしい。

14. 復活のきっかけ

怪我で2000年のシドニー大会の代表から外され引退を考えた時、唯一『まだできる』とパイオニアのアリー・セリンジャー監督が声をかけてくれたのが転機になった。

怪我による代表落選から引退を考えた時、唯一声をかけてくれた監督の存在。

15. 再起へのトレーニング

もう一度コートに立つ決意でトレーニングに取り組んだら、パフォーマンスが戻って北京大会へとつながった。

再びコートに立つ決意を固め、トレーニングに励んだことが北京大会に繋がった。