松原泰道の名言格言37選

松原泰道(まつばらたいどう) 日本の臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職。岐阜県の瑞龍寺で修行したのち、臨済宗妙心寺派教学部長を務める。1972年出版の「般若心経入門」(祥伝社刊)は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った。1989年仏教伝道文化賞受賞。1999年禅文化賞受賞。著書は百冊を超える。 松原泰道の名言格言 人は感動がなくなると老化が始まる。 三つのことを“心の杖こ […]

上杉謙信の名言格言26選

上杉謙信(うえすぎけんしん) 戦国大名。関東管領。戦国時代屈指の戦上手と称えられる武将である。川中島の戦いで5回に渡り武田信玄と争ったが、決着はつかなかった。 上杉謙信の名言格言 争うべきは弓にあり、米・塩にあらず 我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし 極楽も […]

上杉鷹山の名言格言11選

上杉鷹山(うえすぎようざん) 江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。 上杉鷹山の名言格言 物を贈るには、薄くして誠あるを要す。物厚くして誠なきは、人に接する道にあらず 人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない 働き一両、考え五両、 […]

城山三郎の名言格言47選

城山三郎(すぎうらえいいち) 日本の小説家。経済小説の開拓者であり、伝記小説、歴史小説も多く著している。 城山三郎の名言格言 人は年を重ねれば重ねるほど、年齢からどんどん自由になれる 昨日はないが今日があり、明日がある 情報氾濫の社会であれば省くことを心がけないと身を亡ぼす ものには退くべきときというものがあります。土壇場へ行ってからでは、もう誰も救ってくれませんよ どんな事態にも、第三の道がある […]

色川武大の名言格言40選

色川武大(いろかわたけひろ) 日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。 色川武大の名言格言 この世に在るものは自然の定理だけであって、それが善いか悪いか、好ましいかうとましいか、変革したいかどうかというようなことは、ごく重要なことでは […]

松田道雄の名言格言23選

松田道雄(まつだ みちお) 日本の医師・育児評論家・歴史家。1967年に出版した代表作でベストセラーの『育児の百科』をはじめ、数多くの著作がある。 松田道雄の名言格言 ご心配になっていることは長い人生からみると、ほんの小さなエピソードで、いずれ忘れてしまわれるでしょう 年の若い人に恋愛至上主義が多いのは、まだ人生の他のおもしろいことを知らないからだ 人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと、楽しく […]

松本清張の名言格言集

松本清張(まつもとせいちょう) 日本の作家。1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。 以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。 松本清張の名言格言 軍隊というところ […]

織田信長の名言格言27選

織田信長(おだのぶなが) 戦国大名。天下布武を旗印に畿内や東海甲信を制圧。中国地方東部や北陸西部も支配下に収め、実質的な天下人となった。 織田信長の名言格言 絶対は絶対にない 攻撃を一点に集約せよ、無駄な事はするな 仕事は探してやるものだ自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ 必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ 是非に及ばず 生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る […]

9代目・松本幸四郎の名言格言集

9代目・松本幸四郎(まつもとこうしろう) 日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。二代目 松本 白鸚としても知られる。 9代目・松本幸四郎の名言格言 役者は舞台で演じるしかなく、一人でも、二人でも見てくださるお客様がおられれば、やらなければならない 人間は、その人がどういう目にあったかではなく、事が起きた際にどう対処したかで価値が決まるのだと思う 与えられた役にはもちろん信念をもって、全 […]

松尾芭蕉の名言格言17選

松尾芭蕉(まつおばしょう) 江戸時代前期の俳諧師。俳諧(連句)の芸術的完成者であり蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。 芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名 […]